2018年03月17日
古方派の名医は・・・
2009年03月17日の茶トラのボクチン(4歳) posted by (C)ボクチンの母
名老中医はどうなのかは知らないが、日本の古方派の名医ともなると、年々使用する方剤の種類が減って来るといわれる。
35年前までの10年間に及ぶ古方派の時代に、どなたかの本で読んだ記憶が鮮明に残っているのだが、当時から今に至るまで、心の片隅に、グサリと残ったままである。
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2009年03月17日の茶トラのボクチン(4歳) posted by (C)ボクチンの母
posted by ヒゲジジイ at 01:16| 山口 ☁| 日本の漢方関連医学・薬学史問答
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2005年11月12日
「誤解、誤解」と書かれたタイトルで文学部学生Bさんからのメール
文学部学生Bさんからのメール: 疑問の回答待ち、了承していただけて幸いです。
私は「芥川の専門家」ではないです。
多分、これからも、「専門家」にはなりません。芥川も、芥川の文学も、好きですが、芥川マニアになる気はありませんので。「主に」芥川の文学を研究している…芥川「だけ」ではなく、「も」研究している、というニュアンスです。(もちろん、まだ研究といっても手習いの段階ですけれど。)
また、典拠について。
私のようなテレビ世代の人間よりも、はるかに書物の虜であったであろう先輩にかかっても、芥川にかかわらず、典拠が明らかになっていない引用が多いことは事実です。「ツマラヌ連中」、然りです。
しかしながら、私たちの日常言語(詩的言語ではなく)が、すべて誰か(既存)の言語体系を模倣することで成り立っていること、また、それを組み替えることで個々の言語の異なりが生じる、ということがあります。とどのつまり、言葉の綾である「文学」は、すべて引用の織物であると考えることができます。また、そこで使われた(引用された)言葉は、その言葉自身について反省=批評=再解釈することを必然的に要求します。(古典を読む、という行為と同じことが、ある語が発せられた瞬間に、語のレベルで行われてもいる、ということです。そして、その行為は、誰彼の意識如何ではなく、言語使用の際、常に行われていることだと思います。たとえば、この言語使用の連続のうちに、少しずつ意味=用途がずれていった結果、昔と今で意味が変わることもあります。)
引用の典拠を逐一明らかにする、ということは、研究上確かに有益ではあります。しかし、明らかになったところで、わかることは、その明らかになった典拠について、作者がどのような批評態度を示しているか、ということにすぎません。また、その批評態度を解することができなければ、単に「典拠はコレである」という指摘にとどまるだけです。これまでの多くの文学研究に言えることですが、典拠が明らかになると、典拠をそのまま引用しただけでオリジナリティがないとされたり、典拠に比してつまらない、とかいう評者の非常に主観的な意見で終わるパターンが多くを占めます。重要な意味を見出せない典拠を発掘したところで、それは作品それ自体にとって、ほぼ無意味です。
また、先にも言いましたように、言葉は、どんな言葉であっても、他者の模倣・組み換えですから、細かい言葉のレベルで「典拠」ということを突きつめることは、実際問題として、不可能=不毛です。作品のイメージであったり、登場人物の名前であったり、発話であったりといったさまざまなレベルの事柄が、他の作品の想念・固有名・言説とが関連付けられたとき、典拠として認定されるわけですが、重要なのは、その言葉に向けられた、参照的な視線=批評行為です。一つ一つの言葉が、どれだけ多くの意味を内包し、その作品としての意味を産出しようとしているかが、その作品の価値になると思います。もし、文学研究という、職業が使命を負っているとしたら、私は作品が持っているたくさんの意味を明らかにしながら、その中でもオモシロイ=妙と思うものを提示していくことだと思っています。
なお、私は、誰(ユウメイジン)が書いたからスゴイのではない、と思います。
また、誰(ユウメイジン)の理論・言葉(ムツカシイコト)を使っているからスゴイのではない、とも思います。
一番スゴイな、と思うのは、自分の頭で考えたことを、わかりやすい言葉で表現できること、です。
それと、私は、陳腐な考えを持っているというより、自身が陳腐な人間だと思っています。だから、いつでも、捨て身です。自分でやれるところまでやってみよう、と非常に楽観的に考えています。
ありがちかもしれませんが、私は「国語さえ、なかったら(いいのに)」と思うほど、国語が大の苦手でした。学校のテストで、平均点に届いたことは、ほとんど無かったです。(技術試験である古典は別。)ですから、自分の論はもちろん、言語能力それ自体に、自信がありません。トラウマですから、おそらく永遠に、克服されることはないでしょう。
ただ、学校に通う=先生のお話=授業を聞くのだけが楽しみで、「今日まで」学校に通い続けている、言うなれば、学校マニアです。決して勉強が好きな優等生ではなく、学校に通って、先生のお話を聞けることが楽しいから聞きに行く、努力と無縁の天邪鬼です。ただ、お話を聞けば聞くほど、自分と同じような考え方をしている人が世の中に多いことを知って、自分の考え方もアリなの(言ったらわかってくれる)かな、と発言する勇気が持てるようになりました。言ってみた結果、「君の論文、面白かった」と感想をもらって、世間に自分が認められたような気持ち(思い込み)を持つことになり、今に至る「だけ」です。実際には、運がいいだけで生きている劣等生です。劣等生なのに、世に出て働きもせず、ある意味特権的な学生という立場に甘んじている。現状では、まったく、始末に終えません。
村田さんはもちろん、私にとってはその「ツマラン」…先輩方も、知識・教養・論力をお持ちである、という点で、全く、敵いません。生きた年数という意味ばかりではなく。
今、私にできることは、<よく見聞きし、考えた上で、適切な手段で意見する>という一連の流れを身につけることです。そのためには、まだまだ知識・教養・論力が、たりません。
「したたかな言葉に、声を荒げて応じれば、相手の手に乗ってしまうと思います。」と言ったのは、このような私だから、です。何よりもまず、心を静かにして、見極めるしか、私にはできません。陳腐で、然りです。そして、私は、意見をするとき、自分だったらこうする、という意見しかできないので、素地の異なる村田さんに、私レベルのあり方は、無用だろうと思います。なお、「青二才の傲慢さ」と書いたのは、こうした私のあり方が、ニヒリズムにとられるかと思ったから、なのですが、陳腐と軽みにとっていただけたので、気楽になりました。
また、私は人に「いつでも笑ってる」と言われるお天気娘です。自分自身あるいは社会に対して、面白くないから憤ることはあっても、特定の個人に対して怒ることは、余程でない限り、ありません。
とりいそぎ、誤解を解いておくために一筆失礼しました。
しばらく沈黙いたします。ご容赦。
ごきげんよう。
ヒゲ薬剤師の返信メール:拝復
ソシュールの言語学をご存知ですか?
構造主義のブームの土台となった言語学者ですが、おっしゃってることはすべて、ソシュールがすべて言ってしまっておりますが、それを知らないで書かれているとしたら、大変素晴らしいことです!
ソシュールの構造主義言語学を知ってて書かれたのなら、半分しか素晴らしくありません。
きっとご存知でしょう。東大などでも、ひところ、文学を構造主義的な分析を盛んにやっていましたが、今頃は、そんなブームも去ったのでしょうか?
むしろ中医学が構造主義科学として、既に中国では大昔から、この構造主義は、天然界の当然の現象として、「陰陽五行学説」を早くから打ち立てています。
ともあれ、陳腐の話ですが、小生は自分自身、けっして陳腐ではないどころかあらゆる面で発想が人と異なっていることに誇りを持っています。
若い頃には、偉い先輩方に遠慮して、我慢していた訳でもないのですが、50歳を過ぎる頃から、いい意味で(自分ではいい意味でと信じている)プッツンしてしまいました。
人生は、過ぎ去ってみれば、あまりに短い。
だから、Bさんも、早くしっかりした目標を見つけて、没頭すべきではないかと思いますが、これは人それぞれのお考えだから、余計なことは言いません。
ある程度、歳を取ってしまうと、外見は老獪に見えても、大分空洞になって、見かけ上、押しが利くように見えるだけ。ややぼけていることも多い。
若いうちに、やるべきことをやっておかないと、頭が冴えるときに頑張っておかないと、K氏みたいに、頓珍漢を言うことになる、ということです。
単なるフランス絵本の収集家に過ぎない。
記憶力抜群の人は、医学書や薬学書などでも、一読すればほとんどすべてを覚えてしまう凄い人種がいる。
ところが、天は二物を与えないのか、創造性が伴わない人が多い。
モンテーニュも自分のもの覚えの悪さを嘆いていましたが、そのお陰で思索が進み、不滅の「随想録」を残しています。
ともあれ、唐突ですが、ブログでもやって、それだけの文章力を書きなぐりで構わないから、吐き出してみるといいと思います。
本当に捨て身なら、人生は意外に短いのだから、猪突猛進も、案外素晴らしいかもしれませんね。
まとまりないお返事、今日も、ボケ爺さんはお疲れさんです。
そろそろそちらも冷え込むことでしょうから、風邪には十分ご注意下さい。
頓首
追伸
芥川とヒゲ薬剤師
ヒゲ薬剤師は若い頃、漢方界で常に、医師でないことにコンプレックスを感じていた!
昨日書きました。
私は「芥川の専門家」ではないです。
多分、これからも、「専門家」にはなりません。芥川も、芥川の文学も、好きですが、芥川マニアになる気はありませんので。「主に」芥川の文学を研究している…芥川「だけ」ではなく、「も」研究している、というニュアンスです。(もちろん、まだ研究といっても手習いの段階ですけれど。)
また、典拠について。
私のようなテレビ世代の人間よりも、はるかに書物の虜であったであろう先輩にかかっても、芥川にかかわらず、典拠が明らかになっていない引用が多いことは事実です。「ツマラヌ連中」、然りです。
しかしながら、私たちの日常言語(詩的言語ではなく)が、すべて誰か(既存)の言語体系を模倣することで成り立っていること、また、それを組み替えることで個々の言語の異なりが生じる、ということがあります。とどのつまり、言葉の綾である「文学」は、すべて引用の織物であると考えることができます。また、そこで使われた(引用された)言葉は、その言葉自身について反省=批評=再解釈することを必然的に要求します。(古典を読む、という行為と同じことが、ある語が発せられた瞬間に、語のレベルで行われてもいる、ということです。そして、その行為は、誰彼の意識如何ではなく、言語使用の際、常に行われていることだと思います。たとえば、この言語使用の連続のうちに、少しずつ意味=用途がずれていった結果、昔と今で意味が変わることもあります。)
引用の典拠を逐一明らかにする、ということは、研究上確かに有益ではあります。しかし、明らかになったところで、わかることは、その明らかになった典拠について、作者がどのような批評態度を示しているか、ということにすぎません。また、その批評態度を解することができなければ、単に「典拠はコレである」という指摘にとどまるだけです。これまでの多くの文学研究に言えることですが、典拠が明らかになると、典拠をそのまま引用しただけでオリジナリティがないとされたり、典拠に比してつまらない、とかいう評者の非常に主観的な意見で終わるパターンが多くを占めます。重要な意味を見出せない典拠を発掘したところで、それは作品それ自体にとって、ほぼ無意味です。
また、先にも言いましたように、言葉は、どんな言葉であっても、他者の模倣・組み換えですから、細かい言葉のレベルで「典拠」ということを突きつめることは、実際問題として、不可能=不毛です。作品のイメージであったり、登場人物の名前であったり、発話であったりといったさまざまなレベルの事柄が、他の作品の想念・固有名・言説とが関連付けられたとき、典拠として認定されるわけですが、重要なのは、その言葉に向けられた、参照的な視線=批評行為です。一つ一つの言葉が、どれだけ多くの意味を内包し、その作品としての意味を産出しようとしているかが、その作品の価値になると思います。もし、文学研究という、職業が使命を負っているとしたら、私は作品が持っているたくさんの意味を明らかにしながら、その中でもオモシロイ=妙と思うものを提示していくことだと思っています。
なお、私は、誰(ユウメイジン)が書いたからスゴイのではない、と思います。
また、誰(ユウメイジン)の理論・言葉(ムツカシイコト)を使っているからスゴイのではない、とも思います。
一番スゴイな、と思うのは、自分の頭で考えたことを、わかりやすい言葉で表現できること、です。
それと、私は、陳腐な考えを持っているというより、自身が陳腐な人間だと思っています。だから、いつでも、捨て身です。自分でやれるところまでやってみよう、と非常に楽観的に考えています。
ありがちかもしれませんが、私は「国語さえ、なかったら(いいのに)」と思うほど、国語が大の苦手でした。学校のテストで、平均点に届いたことは、ほとんど無かったです。(技術試験である古典は別。)ですから、自分の論はもちろん、言語能力それ自体に、自信がありません。トラウマですから、おそらく永遠に、克服されることはないでしょう。
ただ、学校に通う=先生のお話=授業を聞くのだけが楽しみで、「今日まで」学校に通い続けている、言うなれば、学校マニアです。決して勉強が好きな優等生ではなく、学校に通って、先生のお話を聞けることが楽しいから聞きに行く、努力と無縁の天邪鬼です。ただ、お話を聞けば聞くほど、自分と同じような考え方をしている人が世の中に多いことを知って、自分の考え方もアリなの(言ったらわかってくれる)かな、と発言する勇気が持てるようになりました。言ってみた結果、「君の論文、面白かった」と感想をもらって、世間に自分が認められたような気持ち(思い込み)を持つことになり、今に至る「だけ」です。実際には、運がいいだけで生きている劣等生です。劣等生なのに、世に出て働きもせず、ある意味特権的な学生という立場に甘んじている。現状では、まったく、始末に終えません。
村田さんはもちろん、私にとってはその「ツマラン」…先輩方も、知識・教養・論力をお持ちである、という点で、全く、敵いません。生きた年数という意味ばかりではなく。
今、私にできることは、<よく見聞きし、考えた上で、適切な手段で意見する>という一連の流れを身につけることです。そのためには、まだまだ知識・教養・論力が、たりません。
「したたかな言葉に、声を荒げて応じれば、相手の手に乗ってしまうと思います。」と言ったのは、このような私だから、です。何よりもまず、心を静かにして、見極めるしか、私にはできません。陳腐で、然りです。そして、私は、意見をするとき、自分だったらこうする、という意見しかできないので、素地の異なる村田さんに、私レベルのあり方は、無用だろうと思います。なお、「青二才の傲慢さ」と書いたのは、こうした私のあり方が、ニヒリズムにとられるかと思ったから、なのですが、陳腐と軽みにとっていただけたので、気楽になりました。
また、私は人に「いつでも笑ってる」と言われるお天気娘です。自分自身あるいは社会に対して、面白くないから憤ることはあっても、特定の個人に対して怒ることは、余程でない限り、ありません。
とりいそぎ、誤解を解いておくために一筆失礼しました。
しばらく沈黙いたします。ご容赦。
ごきげんよう。
ヒゲ薬剤師の返信メール:拝復
ソシュールの言語学をご存知ですか?
構造主義のブームの土台となった言語学者ですが、おっしゃってることはすべて、ソシュールがすべて言ってしまっておりますが、それを知らないで書かれているとしたら、大変素晴らしいことです!
ソシュールの構造主義言語学を知ってて書かれたのなら、半分しか素晴らしくありません。
きっとご存知でしょう。東大などでも、ひところ、文学を構造主義的な分析を盛んにやっていましたが、今頃は、そんなブームも去ったのでしょうか?
むしろ中医学が構造主義科学として、既に中国では大昔から、この構造主義は、天然界の当然の現象として、「陰陽五行学説」を早くから打ち立てています。
ともあれ、陳腐の話ですが、小生は自分自身、けっして陳腐ではないどころかあらゆる面で発想が人と異なっていることに誇りを持っています。
若い頃には、偉い先輩方に遠慮して、我慢していた訳でもないのですが、50歳を過ぎる頃から、いい意味で(自分ではいい意味でと信じている)プッツンしてしまいました。
人生は、過ぎ去ってみれば、あまりに短い。
だから、Bさんも、早くしっかりした目標を見つけて、没頭すべきではないかと思いますが、これは人それぞれのお考えだから、余計なことは言いません。
ある程度、歳を取ってしまうと、外見は老獪に見えても、大分空洞になって、見かけ上、押しが利くように見えるだけ。ややぼけていることも多い。
若いうちに、やるべきことをやっておかないと、頭が冴えるときに頑張っておかないと、K氏みたいに、頓珍漢を言うことになる、ということです。
単なるフランス絵本の収集家に過ぎない。
記憶力抜群の人は、医学書や薬学書などでも、一読すればほとんどすべてを覚えてしまう凄い人種がいる。
ところが、天は二物を与えないのか、創造性が伴わない人が多い。
モンテーニュも自分のもの覚えの悪さを嘆いていましたが、そのお陰で思索が進み、不滅の「随想録」を残しています。
ともあれ、唐突ですが、ブログでもやって、それだけの文章力を書きなぐりで構わないから、吐き出してみるといいと思います。
本当に捨て身なら、人生は意外に短いのだから、猪突猛進も、案外素晴らしいかもしれませんね。
まとまりないお返事、今日も、ボケ爺さんはお疲れさんです。
そろそろそちらも冷え込むことでしょうから、風邪には十分ご注意下さい。
頓首
追伸
芥川とヒゲ薬剤師
ヒゲ薬剤師は若い頃、漢方界で常に、医師でないことにコンプレックスを感じていた!
昨日書きました。
posted by ヒゲジジイ at 16:16| 山口 ☀| 日本の漢方関連医学・薬学史問答
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2005年11月09日
芥川龍之介の作品「袈裟と盛遠」中の今様の作者についての疑問に対するBさんのお返事
Bさんからのお返事メール: 月曜日は夜までゼミなので…お返事できませんでした。あしからず。
『袈裟と盛遠』の今様について。
手元にある資料・全集・研究書を見てみましたが、ご指摘のとおり典拠不明です。
もとより『袈裟と盛遠』自体の研究史が浅い(少ない)ということもありますが、もしかすると作品論の論文を漁ると出てくるかもしれません。が、今は発表の準備やらなにやらで、手をつけられません。。12月あるいは1月になってから、でもよろしいですか?それでもよろしければ、一通り当たってみます。35年待ち続けたのを、いま少し。。
一応、目算は半々です。
まず、龍之介の特徴として、引用される文言はほとんど改変しない、ということがあります。従来の古典解釈ないし歴史解釈とは異なる独自の解釈を、作品の内容(解釈)のレベルで提示することはあっても、注目すべき文言は元のまま出してくる…そうすることで、読者の再解釈(芥川流古典・歴史解釈および考現学の妥当性の検討)を促すような仕組みになって(いると、私は思って)います。
すると、同じか、ほぼ同じ文言が、別の書物に潜んでいるかもしれません。無論、まだ見つかっていない可能性は、大きいです。(本の虫・芥川の知られざる典拠は山とあるはずです。実際、「未詳」がたくさんあります。ただ、今日の研究では、以前のように典拠を明らかにするだけでは、論文になりません。従って、ことによると、見つかっているのに出てこない、ということもあるかもしれません。『袈裟と盛遠』の発表は大正7年。大正6年、芥川は倉田百三『出家とその弟子』に感心していること、『袈裟と盛遠』が劇作風であることなどから…親鸞に関係する話のどこか、それもマニアックな書物に、材源はあるかもしれません。)
しかし、「今様」であることから、創作の可能性は捨てがたい気がします。というのも、芥川はレトリックの達人なので、言葉遊びを非常に巧みに取り入れています。つまり、この「今様」が「古典としての今様」ではなく、まさに、「今・様」である、ということかもしれないわけです。村田さんの突き当たった創作の可能性です。それに、龍之介は詩歌が大好きですから、
くだらない、と思われそうですが、そういうくだらないようなことを、たくさん織り込んでいることもまた、事実です。。この点については、難しいことばかり考える賢い先行研究者の方々は、気がついていないみたいですけれども。(ともすると、気づいていても、くだらないから、書いていないのかもしれませんけれども。)
ともあれ、自分の勉強にもなるので、やるには、やります。放りはしません。
それと、鹿島氏批評について。
私の文章の癖で、いささか挑発的に感じられるかと思いますが、青二才の傲慢さ、とお受け取りください。
鹿島さん(よく新聞で拝見します)が実際どんなことをおっしゃったのか、ちょっとブログだけではわかりかねるので、多言は慎みます。
ただ、<西洋/日本>という違いについて思ったことを。
近現代の日本を論じる際に重要なのは、近現代の日本を作っているものを洗いざらい考えてみること、だと思います。日本という「場」がつなぐ、共時的な歴史観と通時的な歴史観の二つの座標軸を同時に、あるいは、場=共時の連続としての通時的な歴史観を考えた方がいい、と思います。
特に近代以降の日本人は、世界のさまざまな物事をちゃんぽんしていますし、聞いたこともないような世界の小国の経済にまで、大きくかかわってもいますから、伝統(?)もしかり、西洋もアジアもしかり。どこのどのような考え方が、自分の中に入り込んでいるのか、は乱雑です。(もっとも、いつの時代もそういう意味では乱雑ではあります。)乱雑さには、寛容に、しかし、自分の考えは、鮮明に、と思います。
「今の日本の保守は無教養すぎる。」と仰ったのだとすれば、それは老いの繰言と同じような言葉として取れるのではないかな、と思いました。したたかな言葉に、声を荒げて応じれば、相手の手に乗ってしまうと思います。世間に時々いるツワモノは、繰言を無視して、わが道を行く…ように見えますが、どうでしょう?(何しろモノを読んでいないので、乗れず…スミマセン。。今度みておきます。)
以上、さしあたり、振られたことへの返答でした。
いま少し、お待ちください。。
ごきげんよう。
ヒゲ薬剤師のお礼のメール:拝復
ご多忙中を、ありがとうございます。多分、芥川の今様は、そう簡単には、ケリが付かないと思います。
これでも、相当な本の収集家で、いったん物に引っかかると徹底的にやるほうですから、文学には学問的には素人でも、龍之介の死因なども早くから見抜いていた、つもりです。日録には記していますが。
人間って〜のは、意外にとんでもないことが、自殺の原因になっているもので、きっとご存知でしょうが、芥川の不倫相手に脅迫されて、豚箱入りになるのが恐ろしくて自殺した、というのが真相だと小生も考えています。
北原白秋の例を恐れて、何度も?白秋に質問していたようですからね。
話がそれましたが、あの今様に対する推論は、やはり専門家は違うものですね。なるほど、っと半分は思いましたが、あれだけの胸に染み入る「今様」に、これまで見る限りは、いずれの本にも注釈ひとつすら出来ない、あるいは「しない」「なされない」というのも、案外、日本の文学者もツマラヌ連中ですね。
あの今様は、人生の本質をズバリ突いている、と感じますが、まっ人様々で、感性に違いがあるから・・・・・・・
ところで、前回のメールに、書きたかったのに、上記の年来の疑問があった為に、それを優先しましたが、
現在は、芥川龍之介の研究を忌み嫌い、馬鹿にする?ような風潮さえあるような雰囲気とは、何とも驚きです。
ご存知とは思いますが、戦後の作家たちの多くは、芥川龍之介と志賀直哉をお手本とした。
龍之介の知性と痴性の両面性も面白い課題で、そこを突く人はあまりいまい。
女性には、少々だらしない、男に対する態度と、女性に対する態度の豹変振りを感じさせる意外な証言も結構あったように記憶しますが、・・・・・・。
そういうところが、龍之介の嫌いなところで、なよなよするな、と張り倒したくなる部分です。
ところで、鹿島茂氏に対するに、
「したたかな言葉に、声を荒げて応じれば、相手の手に乗ってしまうと思います。」
とありましたが、意外に、陳腐な考え?をお持ちですね!?
小生、常に漢方界でも、論争面では正面突破で論破して来ました。
ちょうど現在も18年前の拙論を牛歩の歩みで「漢方と漢方薬の真実」サイト(http://m-kanpo.ftw.jp/)で、その一部を自慢げに(笑)再録しつつあるところです。
正面突破の方法は、完璧に近い自信があるからやれることで、原稿料をもらいながら、随分やってきましたよ。専門分野でね。
自信があるという裏には、同じ考えの専門家がタクサンあり、しかもしっかりした根拠があるから、代表して正面突破を自信満々でやれたという部分もあります。
Bさんをちょっと怒らすことを言いますが、その点では、このヒゲ薬剤師のほうが、若くてまだまだ血気盛ん、かもしれませんよ。
変に老成してはダメですよ!
ちょっと言い過ぎました。お返事は急がなくても結構ですよ。
どんなに時間がかかっても、何年かかっても構いませんから、龍之介の今様のことは、ほんの一部でも分かれば、必ずご教示下さいませ。
最後に、「芥川龍之介はナゼ自殺したのか?」をお送りして、御機嫌よう!
頓首
『袈裟と盛遠』の今様について。
手元にある資料・全集・研究書を見てみましたが、ご指摘のとおり典拠不明です。
もとより『袈裟と盛遠』自体の研究史が浅い(少ない)ということもありますが、もしかすると作品論の論文を漁ると出てくるかもしれません。が、今は発表の準備やらなにやらで、手をつけられません。。12月あるいは1月になってから、でもよろしいですか?それでもよろしければ、一通り当たってみます。35年待ち続けたのを、いま少し。。
一応、目算は半々です。
まず、龍之介の特徴として、引用される文言はほとんど改変しない、ということがあります。従来の古典解釈ないし歴史解釈とは異なる独自の解釈を、作品の内容(解釈)のレベルで提示することはあっても、注目すべき文言は元のまま出してくる…そうすることで、読者の再解釈(芥川流古典・歴史解釈および考現学の妥当性の検討)を促すような仕組みになって(いると、私は思って)います。
すると、同じか、ほぼ同じ文言が、別の書物に潜んでいるかもしれません。無論、まだ見つかっていない可能性は、大きいです。(本の虫・芥川の知られざる典拠は山とあるはずです。実際、「未詳」がたくさんあります。ただ、今日の研究では、以前のように典拠を明らかにするだけでは、論文になりません。従って、ことによると、見つかっているのに出てこない、ということもあるかもしれません。『袈裟と盛遠』の発表は大正7年。大正6年、芥川は倉田百三『出家とその弟子』に感心していること、『袈裟と盛遠』が劇作風であることなどから…親鸞に関係する話のどこか、それもマニアックな書物に、材源はあるかもしれません。)
しかし、「今様」であることから、創作の可能性は捨てがたい気がします。というのも、芥川はレトリックの達人なので、言葉遊びを非常に巧みに取り入れています。つまり、この「今様」が「古典としての今様」ではなく、まさに、「今・様」である、ということかもしれないわけです。村田さんの突き当たった創作の可能性です。それに、龍之介は詩歌が大好きですから、
くだらない、と思われそうですが、そういうくだらないようなことを、たくさん織り込んでいることもまた、事実です。。この点については、難しいことばかり考える賢い先行研究者の方々は、気がついていないみたいですけれども。(ともすると、気づいていても、くだらないから、書いていないのかもしれませんけれども。)
ともあれ、自分の勉強にもなるので、やるには、やります。放りはしません。
それと、鹿島氏批評について。
私の文章の癖で、いささか挑発的に感じられるかと思いますが、青二才の傲慢さ、とお受け取りください。
鹿島さん(よく新聞で拝見します)が実際どんなことをおっしゃったのか、ちょっとブログだけではわかりかねるので、多言は慎みます。
ただ、<西洋/日本>という違いについて思ったことを。
近現代の日本を論じる際に重要なのは、近現代の日本を作っているものを洗いざらい考えてみること、だと思います。日本という「場」がつなぐ、共時的な歴史観と通時的な歴史観の二つの座標軸を同時に、あるいは、場=共時の連続としての通時的な歴史観を考えた方がいい、と思います。
特に近代以降の日本人は、世界のさまざまな物事をちゃんぽんしていますし、聞いたこともないような世界の小国の経済にまで、大きくかかわってもいますから、伝統(?)もしかり、西洋もアジアもしかり。どこのどのような考え方が、自分の中に入り込んでいるのか、は乱雑です。(もっとも、いつの時代もそういう意味では乱雑ではあります。)乱雑さには、寛容に、しかし、自分の考えは、鮮明に、と思います。
「今の日本の保守は無教養すぎる。」と仰ったのだとすれば、それは老いの繰言と同じような言葉として取れるのではないかな、と思いました。したたかな言葉に、声を荒げて応じれば、相手の手に乗ってしまうと思います。世間に時々いるツワモノは、繰言を無視して、わが道を行く…ように見えますが、どうでしょう?(何しろモノを読んでいないので、乗れず…スミマセン。。今度みておきます。)
以上、さしあたり、振られたことへの返答でした。
いま少し、お待ちください。。
ごきげんよう。
ヒゲ薬剤師のお礼のメール:拝復
ご多忙中を、ありがとうございます。多分、芥川の今様は、そう簡単には、ケリが付かないと思います。
これでも、相当な本の収集家で、いったん物に引っかかると徹底的にやるほうですから、文学には学問的には素人でも、龍之介の死因なども早くから見抜いていた、つもりです。日録には記していますが。
人間って〜のは、意外にとんでもないことが、自殺の原因になっているもので、きっとご存知でしょうが、芥川の不倫相手に脅迫されて、豚箱入りになるのが恐ろしくて自殺した、というのが真相だと小生も考えています。
北原白秋の例を恐れて、何度も?白秋に質問していたようですからね。
話がそれましたが、あの今様に対する推論は、やはり専門家は違うものですね。なるほど、っと半分は思いましたが、あれだけの胸に染み入る「今様」に、これまで見る限りは、いずれの本にも注釈ひとつすら出来ない、あるいは「しない」「なされない」というのも、案外、日本の文学者もツマラヌ連中ですね。
あの今様は、人生の本質をズバリ突いている、と感じますが、まっ人様々で、感性に違いがあるから・・・・・・・
ところで、前回のメールに、書きたかったのに、上記の年来の疑問があった為に、それを優先しましたが、
現在は、芥川龍之介の研究を忌み嫌い、馬鹿にする?ような風潮さえあるような雰囲気とは、何とも驚きです。
ご存知とは思いますが、戦後の作家たちの多くは、芥川龍之介と志賀直哉をお手本とした。
龍之介の知性と痴性の両面性も面白い課題で、そこを突く人はあまりいまい。
女性には、少々だらしない、男に対する態度と、女性に対する態度の豹変振りを感じさせる意外な証言も結構あったように記憶しますが、・・・・・・。
そういうところが、龍之介の嫌いなところで、なよなよするな、と張り倒したくなる部分です。
ところで、鹿島茂氏に対するに、
「したたかな言葉に、声を荒げて応じれば、相手の手に乗ってしまうと思います。」
とありましたが、意外に、陳腐な考え?をお持ちですね!?
小生、常に漢方界でも、論争面では正面突破で論破して来ました。
ちょうど現在も18年前の拙論を牛歩の歩みで「漢方と漢方薬の真実」サイト(http://m-kanpo.ftw.jp/)で、その一部を自慢げに(笑)再録しつつあるところです。
正面突破の方法は、完璧に近い自信があるからやれることで、原稿料をもらいながら、随分やってきましたよ。専門分野でね。
自信があるという裏には、同じ考えの専門家がタクサンあり、しかもしっかりした根拠があるから、代表して正面突破を自信満々でやれたという部分もあります。
Bさんをちょっと怒らすことを言いますが、その点では、このヒゲ薬剤師のほうが、若くてまだまだ血気盛ん、かもしれませんよ。
変に老成してはダメですよ!
ちょっと言い過ぎました。お返事は急がなくても結構ですよ。
どんなに時間がかかっても、何年かかっても構いませんから、龍之介の今様のことは、ほんの一部でも分かれば、必ずご教示下さいませ。
最後に、「芥川龍之介はナゼ自殺したのか?」をお送りして、御機嫌よう!
頓首
posted by ヒゲジジイ at 08:05| 山口 | 日本の漢方関連医学・薬学史問答
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2005年11月07日
文学部Bさんに逆に教えを請うヒゲ薬剤師
Bさんからのメール:「ほんとうに、ありがとうございます(感涙)。」
それに、私の拙いメールが、村田さんに「文学」することを要求してしまったようで…お恥ずかしい限りです。明快な質問状をかけるようにしなくては。。(以下御礼文・状況説明…駄文ゆえの長文です。)
ご推察のとおり、大学は◎◎大学です。ただ、去年までは×××・△△住まい、□□にある女子大に通っていましたので、土地勘すらありませんし、見るもの聞くもの触れるもの、すべてが驚きの連続です。
でも、「疾病関連の粗雑なくだり」に苦笑されると聞いて、至極ホッとしました。否、ならばやってみる価値はあるかもしれない、とかえって力づけをいただきました。
また、村田さん(あるいは谷沢氏)が仰るように、作品を読む時、まず注釈作業(注釈的に読むこと)が重要だと思っています。さまざまな問題意識を作品から紐解く以前の、基礎作業として。
文学畑の人はとかく作者とか心理という言葉から逃れられなかったり、逃れたところで差別や社会制度等の社会学の方面と理論的な接合に向かうことが多く、「注釈」の中でも、そういった方面に結びつくところばかりを論じるきらいがあります。また、理系の方面に手を伸ばしている人は稀なようです。(というより、理系の方たちのような「共同研究」という感覚が、文学を研究する人たちの頭の中には、ないらしいです。それゆえ、周りからは役に立たないと言われるし、実際孤独に行き詰っている、と思います。。)
昨今、世間では東洋医学・薬学への関心が高まっていると思うのですが、◎大の医学・薬学部は、文学部がそうであるように、西洋かぶれかもしれません。(もっとも、これは大学制度自体が、近代以後のものであるためか、とは思います。また、◎◎の場合、▽▽と違って明治以降の歴史しか持っていない、という特質もあろうかと思います。)
そして、◎大の医学・薬学部編成・カリキュラムを一通り見たのですが、いわゆる医学史・薬学史の講義自体が検索不能です。見る限り、治療方法の開発研究や臨床的な方面には力が入っていて、学問体系の細分化も甚だしいようなのですが、西洋東洋問わず、「医学史」への関心は薄いようです。一応、「天然物化学分野」という研究室があることがわかったので、そちらでまず伺ってみようと思っています。ただ、先生方の研究分野を見たところ、医学・薬学史を専門とする先生は、今のところ見当たりません。(無論、こちらに居られなければ他の医大・医学部を伺うまで、です。)
それでも、「伝統のある大学だから、図書館も充実している…」と、私も思って、教えていただいた4冊の本を検索しましたが、立川氏の『日本人の病歴』は総合図書館にあるものの、後は『病気日本史』が哲学の先生の研究図書としてあるだけでした。見かけの伝統と、実際は真逆かもしれません。というのも、大学総合図書館に「ない」ということは、総じて「そこに居る研究者の関心がない」ということの表われでもあると思うので。(もちろん、ないものはリクエストしますし、公立・他大図書館にも当たります。)
ただ、おかげさまで、立川氏の著作から、近代以前の全体像を押さえつつ、個別の病や東西の医学・薬学交流について調べていこうと思っています。私にとって、◎◎も未開ですが、医学も未開の分野。教えていただいたことを、一つでも二つでも生かせたら、と思います。
最後に、前回書き忘れたHP散歩の感想を少し。
「文学部の人でなくても、伊藤整『日本文壇史』を読破している人がいる!」変な話に思われるかもしれませんが、多分、近現代日本文学を専攻する人でも、読んでない人が多勢のはずなので。
そしてもう一言。
「誕生日が同じって、運命を感じますよね!」私も自分と同じ誕生日の芥川に運命を感じていて、作家としては、芥川を研究しています。芥川は文学研究上、忌み嫌われている作家なので、よく「何で芥川を研究しているのか」と問われるのですが、私は必ず「誕生日が一緒なんです」と答えます。作品を重要だと思っているからなのですが、それを多くの芥川嫌いな方々に一々口説いても切がないですし、わかっていただくには論文化するのが一番手っ取り早いので。。こう言うと、大概相手は反論不能です(笑)。
ともあれ、参考になる本だけでなく、やる気までいただけて、今非常に嬉しい心地です。ありがとうございます。少しずつ、楽しみながらやってみます!
ごきげんよう。
ヒゲ薬剤師の返事:拝復
芥川龍之介は、私も大好きな作家です。
ちょっとピンボケなヒゲ薬剤師
ここの下にも書いているように、
ちょっとトウヘンボク、のみならず、ちょっとピンボケ、て〜〜〜とこでした。
ところで、この「のみならず」て〜〜言葉、芥川龍之介の晩年の作品に、頻発します。
若い頃、ヒゲ薬剤師は芥川龍之介と夏目漱石の言葉遣いに強く感化され、とりわけ「のみならず」という言葉が大好きです。
この「とりわけ」という言葉も、誰かさんの影響だったと思います。(やっぱり、龍之介だったかも?)
日曜日だから、リラックスしすぎて、ちょっとしたヒゲ薬剤師のクセを白状してしまいました。
と、クダラナイことを書いていますが、ネット上でもバラバラになってしまった日録類に、折々に龍之介のことを書いています。(いつか、それらの箇所を拾い出して、URLを送ります。)
そこで、むしろBさんにお尋ねしたいのですが、龍之介の「袈裟と盛遠」という短編の中にある今様、
げに人間の心こそ、無明の闇も異ならね、ただ煩悩の火と燃えて、消ゆるばかりぞ命なる
というのがありますが、これの作者はやっぱり、龍之介なのでしょうか?
これが、長年の疑問で、調べる限りでは「梁塵秘抄」(りょうじんひしょう)などでも見当たりません。
あらゆる注釈をあたっても、あらゆる本、膨大な龍之介の本を各種調べても、何の注釈すらないのです!
この35年来の疑問、解いて頂けませんか?
今度は、こちらがご教示をお願いする番になってしましました!
村田恭介と龍之介、昔から意識せずにはおれませんよ。
Bさんは相当な文章表現力があるし、相当な才能を感じます。
研究分野の対象を、人の思惑で左右される必要は無いと思います。
その点では、しっかりした意思をお持ちのようですので、大丈夫でしょうね。
ところで、立川昭二氏の本は、これまで一般向けに、医学史的なものとして大量に出版されていますので、ブックオフなどにも安価で出回っているはずです。
それでも入手出来ない場合は、「日本の古本屋」サイト
http://www.kosho.or.jp/servlet/bookselect.Shiborikomi
ここで検索できるかもしれません。
村田のジジイは、もと文学青年、といっても公式野球のピッチャーもやり、ボクシングでリングに上がりかけたり・・・・・とありましたが、今じゃ、あの世に行くまでの時間つぶしの老いぼれ、といっても55歳ですが。
話はバラバラですが、頭に浮かぶ順で書いています。
文学系の人が、素晴らしい先生もいたかわりに、いかに下らぬ人種が多かったかを、例の谷沢永一氏が辛辣に書いた本は、たくさんあって面白い。
医学史家については、すべての大学とは言いませんが、医師で医学史を研究している人も、日本全国にはたくさんとは言いませんが、おられるのは確かなのです。
やはり、Bさんが決めているとおり、立川昭二氏の本から、医学史全般を見てみると入りやすいと思います。
立川氏だって文系の出身で、あれだけの医学分野の研究ばかりで大成された方ですから。
そして、前便でお伝えしたように、梅毒関係の古書文献の名前はしっかり列記されていますので、うってつけでしょう。
今、夜中の3時を過ぎていますので、頭がもうろうとして来ました。
昨日、フランス文学者の鹿島茂氏が、とんでもないことを口走ったので、ブログで噛み付いてやりました。
私に影響を与えた良書・悪書・珍書・奇書・希書 の中の→ 日本の知識人のレベル
それでは、芥川の件、よろしくご教示下さいませ。
ギブアンドテイクで、よろしくお願い申し上げます。
頓首
それに、私の拙いメールが、村田さんに「文学」することを要求してしまったようで…お恥ずかしい限りです。明快な質問状をかけるようにしなくては。。(以下御礼文・状況説明…駄文ゆえの長文です。)
ご推察のとおり、大学は◎◎大学です。ただ、去年までは×××・△△住まい、□□にある女子大に通っていましたので、土地勘すらありませんし、見るもの聞くもの触れるもの、すべてが驚きの連続です。
でも、「疾病関連の粗雑なくだり」に苦笑されると聞いて、至極ホッとしました。否、ならばやってみる価値はあるかもしれない、とかえって力づけをいただきました。
また、村田さん(あるいは谷沢氏)が仰るように、作品を読む時、まず注釈作業(注釈的に読むこと)が重要だと思っています。さまざまな問題意識を作品から紐解く以前の、基礎作業として。
文学畑の人はとかく作者とか心理という言葉から逃れられなかったり、逃れたところで差別や社会制度等の社会学の方面と理論的な接合に向かうことが多く、「注釈」の中でも、そういった方面に結びつくところばかりを論じるきらいがあります。また、理系の方面に手を伸ばしている人は稀なようです。(というより、理系の方たちのような「共同研究」という感覚が、文学を研究する人たちの頭の中には、ないらしいです。それゆえ、周りからは役に立たないと言われるし、実際孤独に行き詰っている、と思います。。)
昨今、世間では東洋医学・薬学への関心が高まっていると思うのですが、◎大の医学・薬学部は、文学部がそうであるように、西洋かぶれかもしれません。(もっとも、これは大学制度自体が、近代以後のものであるためか、とは思います。また、◎◎の場合、▽▽と違って明治以降の歴史しか持っていない、という特質もあろうかと思います。)
そして、◎大の医学・薬学部編成・カリキュラムを一通り見たのですが、いわゆる医学史・薬学史の講義自体が検索不能です。見る限り、治療方法の開発研究や臨床的な方面には力が入っていて、学問体系の細分化も甚だしいようなのですが、西洋東洋問わず、「医学史」への関心は薄いようです。一応、「天然物化学分野」という研究室があることがわかったので、そちらでまず伺ってみようと思っています。ただ、先生方の研究分野を見たところ、医学・薬学史を専門とする先生は、今のところ見当たりません。(無論、こちらに居られなければ他の医大・医学部を伺うまで、です。)
それでも、「伝統のある大学だから、図書館も充実している…」と、私も思って、教えていただいた4冊の本を検索しましたが、立川氏の『日本人の病歴』は総合図書館にあるものの、後は『病気日本史』が哲学の先生の研究図書としてあるだけでした。見かけの伝統と、実際は真逆かもしれません。というのも、大学総合図書館に「ない」ということは、総じて「そこに居る研究者の関心がない」ということの表われでもあると思うので。(もちろん、ないものはリクエストしますし、公立・他大図書館にも当たります。)
ただ、おかげさまで、立川氏の著作から、近代以前の全体像を押さえつつ、個別の病や東西の医学・薬学交流について調べていこうと思っています。私にとって、◎◎も未開ですが、医学も未開の分野。教えていただいたことを、一つでも二つでも生かせたら、と思います。
最後に、前回書き忘れたHP散歩の感想を少し。
「文学部の人でなくても、伊藤整『日本文壇史』を読破している人がいる!」変な話に思われるかもしれませんが、多分、近現代日本文学を専攻する人でも、読んでない人が多勢のはずなので。
そしてもう一言。
「誕生日が同じって、運命を感じますよね!」私も自分と同じ誕生日の芥川に運命を感じていて、作家としては、芥川を研究しています。芥川は文学研究上、忌み嫌われている作家なので、よく「何で芥川を研究しているのか」と問われるのですが、私は必ず「誕生日が一緒なんです」と答えます。作品を重要だと思っているからなのですが、それを多くの芥川嫌いな方々に一々口説いても切がないですし、わかっていただくには論文化するのが一番手っ取り早いので。。こう言うと、大概相手は反論不能です(笑)。
ともあれ、参考になる本だけでなく、やる気までいただけて、今非常に嬉しい心地です。ありがとうございます。少しずつ、楽しみながらやってみます!
ごきげんよう。
ヒゲ薬剤師の返事:拝復
芥川龍之介は、私も大好きな作家です。
ちょっとピンボケなヒゲ薬剤師
ここの下にも書いているように、
ちょっとトウヘンボク、のみならず、ちょっとピンボケ、て〜〜〜とこでした。
ところで、この「のみならず」て〜〜言葉、芥川龍之介の晩年の作品に、頻発します。
若い頃、ヒゲ薬剤師は芥川龍之介と夏目漱石の言葉遣いに強く感化され、とりわけ「のみならず」という言葉が大好きです。
この「とりわけ」という言葉も、誰かさんの影響だったと思います。(やっぱり、龍之介だったかも?)
日曜日だから、リラックスしすぎて、ちょっとしたヒゲ薬剤師のクセを白状してしまいました。
と、クダラナイことを書いていますが、ネット上でもバラバラになってしまった日録類に、折々に龍之介のことを書いています。(いつか、それらの箇所を拾い出して、URLを送ります。)
そこで、むしろBさんにお尋ねしたいのですが、龍之介の「袈裟と盛遠」という短編の中にある今様、
げに人間の心こそ、無明の闇も異ならね、ただ煩悩の火と燃えて、消ゆるばかりぞ命なる
というのがありますが、これの作者はやっぱり、龍之介なのでしょうか?
これが、長年の疑問で、調べる限りでは「梁塵秘抄」(りょうじんひしょう)などでも見当たりません。
あらゆる注釈をあたっても、あらゆる本、膨大な龍之介の本を各種調べても、何の注釈すらないのです!
この35年来の疑問、解いて頂けませんか?
今度は、こちらがご教示をお願いする番になってしましました!
村田恭介と龍之介、昔から意識せずにはおれませんよ。
Bさんは相当な文章表現力があるし、相当な才能を感じます。
研究分野の対象を、人の思惑で左右される必要は無いと思います。
その点では、しっかりした意思をお持ちのようですので、大丈夫でしょうね。
ところで、立川昭二氏の本は、これまで一般向けに、医学史的なものとして大量に出版されていますので、ブックオフなどにも安価で出回っているはずです。
それでも入手出来ない場合は、「日本の古本屋」サイト
http://www.kosho.or.jp/servlet/bookselect.Shiborikomi
ここで検索できるかもしれません。
村田のジジイは、もと文学青年、といっても公式野球のピッチャーもやり、ボクシングでリングに上がりかけたり・・・・・とありましたが、今じゃ、あの世に行くまでの時間つぶしの老いぼれ、といっても55歳ですが。
話はバラバラですが、頭に浮かぶ順で書いています。
文学系の人が、素晴らしい先生もいたかわりに、いかに下らぬ人種が多かったかを、例の谷沢永一氏が辛辣に書いた本は、たくさんあって面白い。
医学史家については、すべての大学とは言いませんが、医師で医学史を研究している人も、日本全国にはたくさんとは言いませんが、おられるのは確かなのです。
やはり、Bさんが決めているとおり、立川昭二氏の本から、医学史全般を見てみると入りやすいと思います。
立川氏だって文系の出身で、あれだけの医学分野の研究ばかりで大成された方ですから。
そして、前便でお伝えしたように、梅毒関係の古書文献の名前はしっかり列記されていますので、うってつけでしょう。
今、夜中の3時を過ぎていますので、頭がもうろうとして来ました。
昨日、フランス文学者の鹿島茂氏が、とんでもないことを口走ったので、ブログで噛み付いてやりました。
私に影響を与えた良書・悪書・珍書・奇書・希書 の中の→ 日本の知識人のレベル
それでは、芥川の件、よろしくご教示下さいませ。
ギブアンドテイクで、よろしくお願い申し上げます。
頓首
posted by ヒゲジジイ at 10:00| 山口 🌁| 日本の漢方関連医学・薬学史問答
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2005年11月05日
昨日の江戸期の梅毒治療御質問の学生さんよりお礼のメール
学生さんのメール:丁寧なご返答ありがとうございます。
まず、質問内容だけを送信いたしましたこと、並びに、村田さんの意に反して所属を述べませんでしたこと、お詫びいたします。(ただ、所属を述べなかったのは、単に時勢柄です。ご了承ください。)
また、梅毒について「しっかり調べてみたか」と問われましても、答えに窮するばかりです。すみません。
殊に東方医学・薬学方面の梅毒治療については、調べ方が悪いのではありますが、日本における近代西洋医学・薬学の発展を述べる前座として語られていることや、おそらくかなり入門的な江戸時代の医学に関する本に書かれているレベルでしか知りません。
私は文学部の学生で、日本近代文学を研究しています。
つまるところ、現在、明治・大正期の文学における医学・薬学の影響を考えていて、その手始めに、梅毒にあたっている、ということです。そして、私のような医学に暗い者が梅毒を調べようとしたとき、真っ先に触れるのもまた西洋医学・薬学の方面からの梅毒治療でした。(図書館の検索に「梅毒」と入れても、出てくるのは皆西洋医学・薬学の本ばかりでした。)
ご存知かもしれませんが、近代の文学作品には、西洋医学・薬学と東方医学・薬学の混在は露骨に書かれています。近代以降に流入・開発されてきた西洋医学・薬学の影響は計り知れないものですし、その影響が文学にも見られる、ということではあると思います。ただ、これまでの文学研究では西洋医学・薬学の影響ばかり取り上げ、民間治療や東方医学・薬学からの変遷という道筋を、意識していないようです。
たとえばある作品の中で、何某かの治療を施された登場人物が、後に神経症的症状を呈するような場合、文学研究の人たちは、「発狂」の一語で簡単に片付けてしまいます。現実的にそのような患者がいたとしても、何某かの治療による副作用としての神経症的症状と考えるよりも、手を尽くした挙句の発狂として捉えていたのだろうとは、思います。しかし、実際には治療の副作用があるかもしれません。今は、文学作品が書かれた当時に比して、病気そのものはもちろん、副作用や治療効果に関する研究も進んでいますから、作品内に書かれた「病」の有り様を、本当に病だったのか、という視点に立って読み直すことができると思っています。
「医学史の領域でもあるので、医学部や薬学部の図書館などで調べると能率的」とのご助言、確かにそのとおりと思いました。大学に入って、いい加減半年を過ぎたのに、まだどこに何があるのかもよくわからない状態で、そこまで考えが及びませんでした。伺ってみたいと思います。もちろん教えていただいた「日本古方派」「吉益東洞」に関して調べることとが先行ですが。
聞き方すら覚束ない質問状にもかかわらず、親切にお答えくださって、本当にありがとうございました。
ごきげんよう。
即座に返信したヒゲ薬剤師:多分、御質問の仕方から、文章力からも類推するに、文学部の学生さんかな?とも邪推していました。
所属その他を明らかしたところで、個人名や大学名までは、絶対に公表するものでもないし、そのレベルまでは知ってお返事したほうが、調べるヒントも効率のいいヒントが出せるからです。
むしろ、匿名でよいから、学部と大学名(これは公表しない)を知っておれば、たとえばK大学であれば、伝統のある大学だから、図書館も充実しているでしょうし、医学史家の先生もおられるでしょうし、そういう先生に直接当たれば、少なくとも文献の直接的なヒントを早くもらえるはずです。
小生も文学は大変好きなほうで、それだけに疾病関連の粗雑なくだりには、いつも苦笑を禁じえないところです。
それだけに、貴女ほどの研究熱心さがあれば、医学部や薬学部の医学史を専攻されている先生に喰らい付いて共同研究するくらいの意気込みでやられると、素晴らしい注釈が加えられることと存じます。
きっとご存知でしょうが、谷沢永一氏は、関西大学文学部の名誉教授だったと思いますが、書誌学関連の専門家でもあり、まあ〜、それはともかく、文学作品の研究において、注釈がいかに重要かを縷々述べられておられます。
もしも貴女が総合大学の学生さんであれば、是非とも医学史家の先生を見つけて、共同研究するくらいの意気込でないと、文学系等の知識だけでは、医学・薬学方面の詳細な理解と注釈は、なかなか困難なものだと思います。
薬学部出身のものでさえ、一般的な疾患の病名と、その疾患の本質を知るのに、皆さんずいぶん苦労しているのですから、文系の方だったら尚更困難を極める部分もあるのではないか、と推しはかるからです。
蛇足ならが、自分の雑然とした図書館!に行くのが面倒なかわりに、梅毒のことはほんの一部しか出ていませんが、手元に次のような2冊が転がっていましたので、
「文学に見る日本の医学史」 大星光史著 雄渾社(1997年・5,800円)
「病気日本史」中島陽一郎著 雄山閣出版(昭和57年刊・4,800円)
もしも、ご興味があありでしたら・・・・・・・・・
梅毒の詳細は無理ですが、文学部の学生さん向きの本かも、と思っただけですので、あくまで、これは付録です。
不悉
追伸
手っ取り早い、いい本を思い出しました!
●中公新書「日本人の病歴」立川昭二著 昭和51年初版
この本の96ページから梅毒のことが記載され、その当時の専門書が羅列されていますので、これらの文献が最も強力な調査対象になるかもしれません。
船越敬佑著の「黴倉瑣談」など、当時の治療記録などの文献が98ページから何冊も記載。
●ちくま学芸文庫「江戸 病草紙」立川昭二著 1998年刊
こちらにも176ページから詳細な説明があり、文献としても、香川修徳の「一本堂行余医言」の第五巻「梅倉編」などの専門書がちゃんと記載されています。
その当時の文献は、小生、ほとんど復刻本で所持しているくらいですから、古い大学の医学部や薬学部なら、当然置いてあるはずと存じます。
上記の2冊、たとえ絶版になっていても、古本屋さんなどで、必ず比較的安価で入手できるはずです。
この二冊があれば、調査する強力な足がかりになれるほどの文献が記載されています。
ご参考までに。
まず、質問内容だけを送信いたしましたこと、並びに、村田さんの意に反して所属を述べませんでしたこと、お詫びいたします。(ただ、所属を述べなかったのは、単に時勢柄です。ご了承ください。)
また、梅毒について「しっかり調べてみたか」と問われましても、答えに窮するばかりです。すみません。
殊に東方医学・薬学方面の梅毒治療については、調べ方が悪いのではありますが、日本における近代西洋医学・薬学の発展を述べる前座として語られていることや、おそらくかなり入門的な江戸時代の医学に関する本に書かれているレベルでしか知りません。
私は文学部の学生で、日本近代文学を研究しています。
つまるところ、現在、明治・大正期の文学における医学・薬学の影響を考えていて、その手始めに、梅毒にあたっている、ということです。そして、私のような医学に暗い者が梅毒を調べようとしたとき、真っ先に触れるのもまた西洋医学・薬学の方面からの梅毒治療でした。(図書館の検索に「梅毒」と入れても、出てくるのは皆西洋医学・薬学の本ばかりでした。)
ご存知かもしれませんが、近代の文学作品には、西洋医学・薬学と東方医学・薬学の混在は露骨に書かれています。近代以降に流入・開発されてきた西洋医学・薬学の影響は計り知れないものですし、その影響が文学にも見られる、ということではあると思います。ただ、これまでの文学研究では西洋医学・薬学の影響ばかり取り上げ、民間治療や東方医学・薬学からの変遷という道筋を、意識していないようです。
たとえばある作品の中で、何某かの治療を施された登場人物が、後に神経症的症状を呈するような場合、文学研究の人たちは、「発狂」の一語で簡単に片付けてしまいます。現実的にそのような患者がいたとしても、何某かの治療による副作用としての神経症的症状と考えるよりも、手を尽くした挙句の発狂として捉えていたのだろうとは、思います。しかし、実際には治療の副作用があるかもしれません。今は、文学作品が書かれた当時に比して、病気そのものはもちろん、副作用や治療効果に関する研究も進んでいますから、作品内に書かれた「病」の有り様を、本当に病だったのか、という視点に立って読み直すことができると思っています。
「医学史の領域でもあるので、医学部や薬学部の図書館などで調べると能率的」とのご助言、確かにそのとおりと思いました。大学に入って、いい加減半年を過ぎたのに、まだどこに何があるのかもよくわからない状態で、そこまで考えが及びませんでした。伺ってみたいと思います。もちろん教えていただいた「日本古方派」「吉益東洞」に関して調べることとが先行ですが。
聞き方すら覚束ない質問状にもかかわらず、親切にお答えくださって、本当にありがとうございました。
ごきげんよう。
即座に返信したヒゲ薬剤師:多分、御質問の仕方から、文章力からも類推するに、文学部の学生さんかな?とも邪推していました。
所属その他を明らかしたところで、個人名や大学名までは、絶対に公表するものでもないし、そのレベルまでは知ってお返事したほうが、調べるヒントも効率のいいヒントが出せるからです。
むしろ、匿名でよいから、学部と大学名(これは公表しない)を知っておれば、たとえばK大学であれば、伝統のある大学だから、図書館も充実しているでしょうし、医学史家の先生もおられるでしょうし、そういう先生に直接当たれば、少なくとも文献の直接的なヒントを早くもらえるはずです。
小生も文学は大変好きなほうで、それだけに疾病関連の粗雑なくだりには、いつも苦笑を禁じえないところです。
それだけに、貴女ほどの研究熱心さがあれば、医学部や薬学部の医学史を専攻されている先生に喰らい付いて共同研究するくらいの意気込みでやられると、素晴らしい注釈が加えられることと存じます。
きっとご存知でしょうが、谷沢永一氏は、関西大学文学部の名誉教授だったと思いますが、書誌学関連の専門家でもあり、まあ〜、それはともかく、文学作品の研究において、注釈がいかに重要かを縷々述べられておられます。
もしも貴女が総合大学の学生さんであれば、是非とも医学史家の先生を見つけて、共同研究するくらいの意気込でないと、文学系等の知識だけでは、医学・薬学方面の詳細な理解と注釈は、なかなか困難なものだと思います。
薬学部出身のものでさえ、一般的な疾患の病名と、その疾患の本質を知るのに、皆さんずいぶん苦労しているのですから、文系の方だったら尚更困難を極める部分もあるのではないか、と推しはかるからです。
蛇足ならが、自分の雑然とした図書館!に行くのが面倒なかわりに、梅毒のことはほんの一部しか出ていませんが、手元に次のような2冊が転がっていましたので、
「文学に見る日本の医学史」 大星光史著 雄渾社(1997年・5,800円)
「病気日本史」中島陽一郎著 雄山閣出版(昭和57年刊・4,800円)
もしも、ご興味があありでしたら・・・・・・・・・
梅毒の詳細は無理ですが、文学部の学生さん向きの本かも、と思っただけですので、あくまで、これは付録です。
不悉
追伸
手っ取り早い、いい本を思い出しました!
●中公新書「日本人の病歴」立川昭二著 昭和51年初版
この本の96ページから梅毒のことが記載され、その当時の専門書が羅列されていますので、これらの文献が最も強力な調査対象になるかもしれません。
船越敬佑著の「黴倉瑣談」など、当時の治療記録などの文献が98ページから何冊も記載。
●ちくま学芸文庫「江戸 病草紙」立川昭二著 1998年刊
こちらにも176ページから詳細な説明があり、文献としても、香川修徳の「一本堂行余医言」の第五巻「梅倉編」などの専門書がちゃんと記載されています。
その当時の文献は、小生、ほとんど復刻本で所持しているくらいですから、古い大学の医学部や薬学部なら、当然置いてあるはずと存じます。
上記の2冊、たとえ絶版になっていても、古本屋さんなどで、必ず比較的安価で入手できるはずです。
この二冊があれば、調査する強力な足がかりになれるほどの文献が記載されています。
ご参考までに。
posted by ヒゲジジイ at 18:46| 山口 ☀| 日本の漢方関連医学・薬学史問答
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2005年11月04日
学生さんから江戸期の梅毒治療についてのお問い合わせ
お問い合わせ内容 : 梅毒の治療法の歴史を調べています。
明治以後、サルワルサン、ペニシリンといった化学薬品作られ、梅毒の治療は飛躍的に・世界的に進んだことが知られています。
しかしそれ以前は、水銀を含んだ漢方薬が江戸時代に使われていたらしい、ということまでしかわかりません。
汞藍丸・迦路米と呼ばれる漢方薬がそれにあたると思われるのですが、それらの効能や副作用、また実際いつごろまで使われた薬品なのか、を調べています。参考になる本をご存知でしたら、教えてください。
ヒゲ薬剤師のお返事メール:拝復
梅毒の治療法のご調査、本当にしっかり調べてみましたか?
小生の書庫に、その関連の文献がどの程度揃っているか、それを取り出すだけで、相当な時間を食ってしまいますので、さしあたり、ささやかな調査方法のヒントだけ述べます。
その前に、漢方の「日本古方派」の始祖、吉益東洞の時代は、もちろん江戸期ですが、治療対象の患者さんは多くは梅毒治療だったと言われているほどです。
だから、水銀剤をバンバン使っていますので、日本古方派の江戸期の先生方や、もちろん吉益東洞全集なども調べる必要があるでしょう。
医学史の領域でもあるので、医学部や薬学部の図書館などで調べると能率的でしょう。
医学部なり薬学部なりの医学史、薬学史専門の先生にお尋ねになると早いですよ!
以上、簡単ながら、調べ方のヒント?として下さい。
こういうことは、苦労して調べることに価値があります。
第一、調べている目的など、また学生さんといっても何学部の学生さんかなどものべてもらわなっくちゃ〜〜、こちらもこの程度のお返事しかする気にはなれませんよ。
頓首
明治以後、サルワルサン、ペニシリンといった化学薬品作られ、梅毒の治療は飛躍的に・世界的に進んだことが知られています。
しかしそれ以前は、水銀を含んだ漢方薬が江戸時代に使われていたらしい、ということまでしかわかりません。
汞藍丸・迦路米と呼ばれる漢方薬がそれにあたると思われるのですが、それらの効能や副作用、また実際いつごろまで使われた薬品なのか、を調べています。参考になる本をご存知でしたら、教えてください。
ヒゲ薬剤師のお返事メール:拝復
梅毒の治療法のご調査、本当にしっかり調べてみましたか?
小生の書庫に、その関連の文献がどの程度揃っているか、それを取り出すだけで、相当な時間を食ってしまいますので、さしあたり、ささやかな調査方法のヒントだけ述べます。
その前に、漢方の「日本古方派」の始祖、吉益東洞の時代は、もちろん江戸期ですが、治療対象の患者さんは多くは梅毒治療だったと言われているほどです。
だから、水銀剤をバンバン使っていますので、日本古方派の江戸期の先生方や、もちろん吉益東洞全集なども調べる必要があるでしょう。
医学史の領域でもあるので、医学部や薬学部の図書館などで調べると能率的でしょう。
医学部なり薬学部なりの医学史、薬学史専門の先生にお尋ねになると早いですよ!
以上、簡単ながら、調べ方のヒント?として下さい。
こういうことは、苦労して調べることに価値があります。
第一、調べている目的など、また学生さんといっても何学部の学生さんかなどものべてもらわなっくちゃ〜〜、こちらもこの程度のお返事しかする気にはなれませんよ。
頓首
posted by ヒゲジジイ at 22:35| 山口 ☀| 日本の漢方関連医学・薬学史問答
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