2020年08月31日

中医学における鬱金(玉金)とや姜黄および健康食品のウコンとの異同

 年寄りの繰り言で、過去、別のブログの各所で、またこのブログでも書いていたかもしれないが、いまだに混乱して理解している人が多いので、一部を修正して再々再度、書いておきたい。

 以下の拙論は、30年近く前に、月刊和漢薬誌に発表したものの、一部を補足・改訂してピックアップしたものであるが、今に至るまで、専門家でも理解できない人がいるくらいだから、真に理解できる人は、何度も繰り返し読んだ人に限られることだろう。

 中医学では繁用されながら、日本国内では比較的流通量の少ない中草薬に「鬱金(うこん)別名:玉金」がある。性味は辛苦寒で、帰経は心・肺・肝・胆と作用領域が広く、効能については、@活血止痛・A行気解鬱・B清熱涼血止血・C清心開竅・D利胆退黄など、単味でこれほど多方面の効能を持つ中草薬も珍しい。

 ところで、中医学における鬱金は、日本国内で「ウコン」の名で流通している健康食品類とは別物である。日本市場の「ウコン」は植物名をあてたもので、中医学では「姜黄(きょうおう)」に該当する。

 中医学上の鬱金は日本の植物名における[1]ウコン(中国の植物名では姜黄)や[2]ハルウコン(中国の植物名では鬱金)または[3]ガジュツ(中国の植物名も莪朮)類の塊根(紡錘根)である。

 いっぽう、中医学上の姜黄は[1]や[2]の根茎を指しており、これこそが日本国内における「ウコン」の名の市販品(健康食品類)に該当する。

 なお、姜黄は、性味は辛苦温で、帰経は脾・肝、効能は@破血行気・通経止痛・A袪風勝湿などで、鬱金とは、寒熱が真逆であり、効能などでも異なる部分が多い。

 また[3]の根茎は中医学・日本市場ともに莪朮(がじゅつ)である。

 以上のように、中医学上の鬱金と姜黄の違いは、植物名の違いではなく、同一植物における薬用部分の違い なのである。

 なお、中医臨床においては鬱金類の効能の特徴にもとづいて「広鬱金」と「川鬱金」の二系統に分類して使用され、前者は行気解鬱に長じる[1]の塊根であり、後者は活血化瘀に長じる[2][3]の塊根である。

 ところで、広鬱金[1]の主産地は四川省であり、川鬱金[2]の主産地は浙江省であるから、川鬱金の「川」を四川省の意味に取ってはならないのだが、「中薬材」関係の書籍では[1]の主産地が四川省であることから、広鬱金であっても川鬱金と称することが多いので、決して混同してはならない。

 中医学における鬱金の適応領域は多岐に渡っており、肝臓・胆嚢・胃腸・脳血管・心臓・肺臓・泌尿器系・婦人科系などの各種疾患、および各種の出血証に対する要薬であるだけに、日本の健康食品類のウコンと混同を避けるために、鬱金の別名である「玉金」と称したほうが無難である。

 日本市場のウコンは中医学における姜黄であり、鬱金(玉金)とは寒熱が相反し、効能もかなり異なっているので、混同して用いてはならないのである。

参考文献:村田漢方堂薬局 製品開発歴
     漢方薬のウコン(うこん:鬱金)と健康食品のウコンはどう違うのか?
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2010年8月31日の茶トラのボクチン(6歳)
2010年8月31日の茶トラのボクチン(6歳) posted by (C)ボクチンの母
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2019年01月06日

中医学のレベルに、ようやく西洋医学が追い付いてきた部分

2011年01月06日の茶トラのボクチン(6歳)
2011年01月06日の茶トラのボクチン(6歳) posted by (C)ボクチンの母

 中医学においては、五臓相関こそは基本中の基本だが、ようやく西洋医学でも科学的に証明できたという特集番組が、NHKのBS放送で繰り返し流されている。

 なかでも腎臓こそが、生命に関わる最も重要な臓器であることが判明したというが、いまさらながら、21世紀の今頃になっていわれるとは、中医学ではとっくの昔に常識とされていたことである。

 過去、東大医学部出身の某大学医学部教授が、某漢方専門誌に「陰陽五行など中医学理論は荒唐無稽である」と激しく批判された記事に対し、若かりし頃のヒゲジジイが、激しく反論して、コテンパンに論破した経験があるのだが・・・。

 ずいぶん減ったとはいえ、いまだに東洋医学を馬鹿にする医師や薬剤師、看護師がいるという話が届くことがあるが、これこそ馬の耳に念仏。

 視野狭窄の連中など知ったことではないので、明日からまた始まる終わりなき日々の仕事に専念するだけである(呵々。

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2016年10月07日

日本漢方と中医学を合体させる方向性を示す 『日本漢方の随証治療の精神と「依法用方」』

2008年10月7日のボクチン(4歳)
2008年10月7日のボクチン(4歳) posted by (C)ヒゲジジイ

 過去、いつ頃書いたものか、

日本漢方の随証治療の精神と「依法用方」

 という拙論が、こんなところに眠り続けていた。

 かなり以前に、日本漢方と中医学を合体した中医漢方薬学派を打ち立てようと、孤軍奮闘していた時代に書いたものかもしれない。

 エネルギーが充満した時代であればこそ、このように燃えに燃えていた時代もあったが、昨今は、日々の仕事だけで消耗が激しく、久しぶりにこのような拙論に目を通していると、自身がいかに老化しつつあるかと嘆息するばかりである(涙。

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2008年10月7日のボクチン(4歳)
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2015年05月18日

漢方薬の真の実力と、それをフルに発揮させるノウハウを習得する大きな壁の問題

2015年5月17日の茶トラのトラちゃん(1歳半)
2015年5月17日の茶トラのトラちゃん(1歳半) posted by (C)ヒゲジジイ

2015年5月17日のシロちゃん(2歳)
2015年5月17日のシロちゃん(2歳) posted by (C)ヒゲジジイ

2009年05月18日の茶トラのボクチン(5歳)
2009年05月18日の茶トラのボクチン(5歳) posted by (C)ヒゲジジイ

 漢方薬の真の実力は、いまさら言うまでもないかもしれないが、西洋医学治療で不可能だったものが、綿密な弁証論治や随証治療によって、優れた治療効果を発揮することは日常茶飯事。

 西洋医学的な有名病院を何軒も歴訪して治らず、西洋医学を諦めて、漢方治療を求めて漢方専門医を歴訪して治らず、市井の漢方薬局を何軒か歴訪した挙句、ようやく治療効果を発揮して長年の病苦から開放されたという例は、枚挙に暇がない。

 そのような地道な仕事をされている漢方薬局は、日本全国各地に必ずあるはず。

 中医学や漢方医学には、もしかしたら無限に近い可能性を秘めているといっても過言ではないのだが、それは結果論であって、最も重要な弁証論治や随証治療というものが、甚だ厄介なシロモノである。

 基礎理論を応用するのは当然としても、病状には常と変があり、適応する方剤も常と変があるので、専門的な教科書でもマニュアル化はほとんど不可能であり、常に臨機応変の判断力を必要とする。

 だから一定レベル以上の疾患ともなれば、十分な相談時間を必要とし、僅かな時間の相談では裏に秘めた疾病の本質を把握することは困難に近い。

 マニュアル化が困難な中医漢方薬学であばこそ、たくさんの漢方相談の実体験を多く重ねることこそ、急がば回れの王道であることは間違いないことだろう。

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2009年05月18日の茶トラのボクチン(5歳)
2009年05月18日の茶トラのボクチン(5歳) posted by (C)ヒゲジジイ

2012年05月18日の茶トラのボクチン(8歳)
2012年05月18日の茶トラのボクチン(8歳) posted by (C)ヒゲジジイ

2012年05月18日の茶トラのボクチン(8歳)
2012年05月18日の茶トラのボクチン(8歳) posted by (C)ヒゲジジイ

2012年05月18日の茶トラのボクチン(8歳)
2012年05月18日の茶トラのボクチン(8歳) posted by (C)ヒゲジジイ



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2014年11月09日

外科系の方剤運用のヒントが充実、緒方玄芳著『漢方と現代医学と―漢方診療の覚え書』

2008年11月09日のボクチン(4歳)
2008年11月09日のボクチン(4歳) posted by (C)ボクチンの母

 1980年に出版された、なつかしい緒方玄芳著『漢方と現代医学と―漢方診療の覚え書』。

 緒方先生が御健在な頃、当時『漢方の臨床』誌に互いに記事を連載する者同士のよしみで、金銀花の品質問題などについて、先生より電話を頂いたりして、意見交換をした頃も懐かしい。

 それはともかく、本書には外科系の方剤の運用のヒントが豊富で、托裏消毒飲や千金内托散など、とても参考価値は高く、これらの方剤の実際的な運用を学ぶには必読書といっても過言でないでしょう。

当然、その他の外科系の方剤の応用のヒントも豊富。

 蛇足ながら、昨今は千金内托散のエキス製剤が、小太郎漢方さんから製造されるようになったものの、以前から熱望していた托裏消毒飲の製造許可については、現時点では許可を得ることはまったく不可能だが、将来、可能性は十分にあり得る。

 但し、幸いなことに、村田漢方堂薬局では3種類の方剤や中草薬の併用で、むしろ托裏消毒飲を上回る効果を上げることを早くから実現している。

 ともあれ、緒方玄芳先生の思い出や、 托裏消毒飲・千金内托散などの話は、既に

2013年07月27日 日本の漢方はますます衰退して行く(緒方玄芳先生の思い出)

 でも書いている。

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2008年11月09日のボクチン(4歳)
2008年11月09日のボクチン(4歳) posted by (C)ボクチンの母

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2012年07月09日

名著だと思った中医学関連の書籍類

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XSC_1538 posted by (C)ヒゲジジイ

 昨今では日々の漢方相談が終わるとぐったりと疲れて、以前ほど専門書を読めなくなった。牛黄製剤の服用で何とかこの世に生息しているが、何せ若い頃よりも疲れる。
 以下、愛読書陳潮祖先生の「中医病機治法学」や張瓏英先生の諸著作は別格として、一昔前の中医書類だけど、とても勉強になった書籍類のメモが残っていたのでここに転載してみたい。(ブログのお茶濁しですよっ・・・苦笑。)

 ●「難病奇治」朱進忠著(科学技術文献出版)は、題名通り、難病、奇病に対する治療学の本であるが、多くの難病奇病を肝病として論治すべきことの立論で、具体的な臨床例も豊富。中医学における肝の重要性をあらためて認識させられる。このような良書は早く翻訳出版されるべきでしょう。

 ●「風火痰瘀論」章真如編著(人民衛生出版社)は以前、通読した折に中医学の奥深さに興奮したものでしたね。たしか日本語訳も東洋学術出版社さんから出されていて本棚にあるはずだけど・・・

 ●「気血病論治学」(北京科学技術出版社)は、重要な気血について知識の整理と基礎学習徹底の為の良著。臨床例も豊富。

 ●「処方綱要」(陝西科学技術出版社)は、臨床時の処方方法の実際的な指導書で、この類の書物は中医学書の中でも珍しい。実際の具体的臨床例も豊富なだけに実践的な中医学を学ぶには大変重宝。

●「中医理論辯」瞿岳云編著(湖南科学技術出版社)は、教科書中医学の欠点を指摘・訂正するような内容で、臨床実践に即した視点から説得力のある中医理論を展開している。例えば「肝は中焦に属するもので下焦に属するものではない」との論などは絶品である!これはヒゲジジイによる翻訳がある。

 ●「脾胃明理論」陸拯(中医古籍出版社)は、数ある脾胃学専門著書の中では、一番優れているように思われる。例えば、第六章「脾胃から論治すべき心肝肺腎病」、第七章「脾胃から論治すべき腑病」、第八章「他の臓腑から論治すべき脾胃病」などの親切な記載は他書では見られない。 

●「景岳全書」(人民衛生出版社)は、この点校本出版のお陰で大変読みやすくなった。とは言え、なにせ膨大な分量であるから原書での通読はやはり少々骨が折れる。内容の優秀さは周知のものだけに、日本での翻訳出版が大いに期待される。

 ●「症例から学ぶ 中医弁証論治」焦樹徳著・生島忍訳(東洋学術出版社)は、理解しやすい翻訳のお陰で、臨床の実際を学ぶ絶好の書籍である。また、中医学の今後の発展のために「症」「証」「病」のしっかりした見解を提出される著者は、「症」の字を一切使用されないベテラン中医師が今なお多い中国にあって、大いに傾聴に値する。

 ●「実用中医内科学」日本語版(東洋医学国際研究財団)発行の原著を以前から愛用し常に紐解いていたのが、この日本語版のお陰で随分楽になった。このような大著の翻訳書籍を実現された桑木先生等の御努力には深く感謝。

 以上のメモは平成3年頃のものであり、『漢方の臨床』誌などの念頭の挨拶の下書きにしていた模様で、これらの最後に
以上に限らず、中医学書には思わず膝を叩きたくなる指導書が氾濫している。日本の漢方界も、もっともっと頑張って欲しい。
 日本には独自の傷寒論研究による「異病同治」の発展的な領域があるのだから、この分野を押し広げ理論的根拠をしっかりと確立しつつ発展させる為に、今直ぐにでも中医学理論を導入すれば優れた東洋医学世界が開けてくるのではないかと思うのだが。
 とい文章が最後に置かれていた。

 ネットでしらべたら漢方と漢方薬の将来のためにという開店休業中のブログの2006年6月2日付けで同じメモをもとに転載したものが残っていたので、そちらは削除した。

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ZZZZ6405 posted by (C)ヒゲジジイ

ラベル:愛読書 中医学
posted by ヒゲジジイ at 23:42| 山口 ☁| 漢方薬や中医学の学習方法および懐かしい拙論 | 更新情報をチェックする

2011年04月27日

中医漢方薬学のはじまりはここから

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CSC_7834 posted by (C)ヒゲジジイ

 漢方と漢方薬の真実というHPが、レンタルサーバーの一方的な都合により、契約を解除せざるを得なくなった。
 幸か不幸か、昨今は完全に休眠中のサイトだったから惜しくもないが、一つだけ残して置きたい転載記事があったので、一時的な保管場所として、このブログを利用して引用しておきたい。

 中医漢方薬学的な方向性は、この拙論からはじまったもので、文字通り拙いながらも、自分にとっては大きな分岐点として記念碑的な拙論である。
弁証論治と方証相対
(原題:「弁証論治」「方証相対」雑感)
1982年(昭和57年)2月号の『漢方研究』誌の巻頭を飾った村田恭介31歳の拙論
 本論は、中国の『中医薬年鑑 1984年』の472ページに参考文献として引用されている。


以下本文 

 本誌(1981年12月号)の森雄材先生の「中医学の体系」その他同先生のこれまでのご論文(1979年10月号、1980年4月号)、および山崎正寿先生の「日本漢方と中医学」(1981年2月号)と題されたご論文を拝読して感じたことを、少しく述べさせて頂きたいと思います。

 「弁証論治」の立場は理論的にも実践的にもかなり首尾一貫し、合理的で発展性のある医学体系であると感じています。
 ところが、理屈どおりに行かない「例外」の存在するのが、あらゆる領域に共通する不可避的なことだと仮定すると、その欠を補うのがあるいは「方証相対」の立場ではないかと考えています。
 しかし、この点はもっと深く研究して考察を重ねて行く必要があります。
 
 さて、次に、私なりに「弁証論治」の立場を批判的に論じながら、「方証相対」の立場のあり方、存在意義を考えてみたいと思います。
 「弁証論治」により処方を組立てる際、患者の疾患の普遍性に対する処方が決定し、次に特殊性に対する加減すべき薬物の選択を行う時、ここに、たとえば、十人の医師(一定レベルの技術を有する人達)が、同じ弁証論治の結論によって処方を組む場合、特殊性に対する薬物の選択が、十人が十人、すべて異なったものになり、それぞれに内容の異なった処方を組立ててしまう可能性が強いのです。それは中草薬には類似した効能性質を持つ薬物が多いからです。

村田恭介による注記:ここで述べられている普遍性と特殊性について、森雄材氏は「漢方研究」誌1981年11月号で次のように述べられている。すべての固体を通じて平均値的にあらわれる状態、すなわち普遍性(共通性)と、体質・時期・環境などの違いによって固体にあらわれる修飾された状態、すなわち特殊性(個別性)である。弁証では一般に普遍性を把握するとともに特殊性にも注意を払う必要があり、論治では、普遍性に対して基本的な治法をきめ、そのうえで特殊性に対する加減を行って対応する(随証加減)のである。要するに、普遍性とは教科書的な弁証分型のことである。

 また、普遍性に対する処方の組み立て内容さえも、十人十色のものとなる可能性が強いのです。何故なら、矢張り中草薬中には似た効能・性質を有する薬物が多いからです。(当然、処方の弁証分型は同一ですが)。

 これら一定レベルの医師達十人それぞれが組立てた処方を患者に投与する場合、それぞれの処方の治癒に導く能力の差違も当然考えられます。
 この時、どの医師の組んだ処方が一番すぐれたものと判定できるのか。弁証論治の結論が全く同一で、組立てた処方もすべて理に適っている訳だから、この十人の提出した処方の優劣は如何にして判定できるのか。

 視点をかえれば、一人の医師でも、同一患者に対して、弁証論治で得た結論によって何通りもの処方を組むことが可能な訳で、この場合にも、どの処方内容のものが一番すぐれていると判定できるのか。
 このような素朴な疑問に対する答えは、「医師(投薬者)の熟練の度合、言いかえれば、経験から得た勘がものを言う」のだ、ということにでもなるのでしょうか。
 このような疑問は、これまでに目を通して来た多くの中医学の公式的な治療書や医案集等をそれぞれ比較して常に感じて来たことなのです。

 しかるに、この薬物選択の問題こそは、各薬物の薬能薬理についての、これから先、将来にも引き続き行われるべき深い研究と開発に俟つべきものが多く、そしてそのことこそ、中医学の発展性を最も内臓している領域なのであろう、と理解していました。
 これ等のことを考える時、森先生の言われる「方剤の薬能・薬理・生薬の薬能・薬理についての漢方医学的な定義はすでにほぼ定まっている」とのお言葉に対して、大きな疑問符を投げかけない訳には参りません。

 ここまで考えてきますと、逆に「方証相対」の立場もあまり馬鹿にできないのではないか、と思われて来ます。
 とりわけ、弁証論治があまりに複雑になり、同じ弁証論治の結論によって、十人十色の処方が組立てられ、あるいは一人でいくつもの方剤を組立て、加減薬物の選択に右顧左眄するくらいなら、先ずは「方証相対」の立場をとり、それによって投薬した後、その結果を見て、再び「弁証論治」を行う、この二つの立場を併行させて考えて行くやり方が生まれて来ないものか、と思われるのです。
 そこに、「方証相対」の立場も、それなりに存在意義が出て来るのではないでしょうか。
 また逆に、弁証論治をするにはあまりに単純すぎる場合にも、「方証相対」の立場をとった方が有利なことがあるかも知れません。

 そこで、ここに特に強調したくなるのは、一般に中医方剤学で示される基本処方を「方証相対」の立場から、(山崎先生の言われる)「方剤が適用される病態、その病因、診断法、鑑別」を明らかにする努力を行えば、「弁証論治」で使用される基本方剤を発展的に批判検討出来るのではないか、ということです。
 これ等こそ、日本漢方と中医学の発展的統合への、ひとつの足がかりになるのではないでしょうか。

 「方証相対」論は明らかに日本の最大の特質のひとつであり、それにも増して、あるいはそれなるが故に、日本漢方の特長は、中医学に比較して、ひとつの方剤を様々に工夫・応用する伝統があり、将来もこの特長を大いに活かすべきだと考えるからです(たとえば、柴胡桂枝湯のように)。

 日本漢方における「柴胡桂枝湯」のような広範囲な活用方法は、それこそ日本漢方中の白眉であり、その他の処方の活用においても多かれ少なかれ共通した特長があります。
 とりわけ腹診による「方証相対」のあり方についてまでも「天動説」だと極め付けるには、さすがにコペルニクスでさえ、躊躇するに違いありません。
  「弁証論治」と「方証相対」の問題は対立的にとらえるよりも、むしろ互いに相補うべきものとして考えた方がより発展的であると確信致します。

《注記》
 「弁証論治」という用語の「論治」には、本来、治則と治法および処方までが含まれるのですが、便宜上、森先生の示された下記の図によって、治則と治法までとし、論治から処方を切り離した用語として使用したことをお断り致します(「弁証論治」と同義の「弁証施治」という用語がありますが、「論治」は治則・治法までとし、「施治」は治則・治法・処方を含む、とした方が便利ではないか、と提案致します)。

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CSC_7875 posted by (C)ヒゲジジイ

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2007年09月06日

漢方薬や中医学の学習方法の質問にまとめてお答え

 よくある質問だが、先日も将来、漢方専門店を経営したいが、どのような本を読んだらよいだろうか、という質問を受けた。
 同様な質問があまりに多いので、ここで乱雑ながらヒゲジジイ流の学習方法を簡単に述べて、皆さんの参考にはならないだろうことを知ってもらうことで、質問する相手が違うことに納得してもらうページとして残しておきたい。

 上記のような質問をされる人の多くは既にヒゲジジイの複数のサイトやブログを御覧になっているので、「中医病機治法学」や「中医理論弁」にもっとも影響されたことは既にご存知である。

 しかしながら、これらだけで充分と言う訳ではないので、上記の書籍に巡り合う以前にも、それ以後にも中医基礎学・中医方剤学・中薬学・傷寒論・金匱要略・温病学など学ぶべき書籍は多いので、たとえすべて読めなくとも手に入る限りは無数に入手するに限るという考えで若い頃から、常に家計を圧迫するほど専門書を購入し続けた。

 それは若い頃は小さい子供を二人かかえて、毎月相当な額を書籍代で飛んでいくので家計は悲惨な状況が十五年は続いただろう。食うや食わずでも書籍を購入し続けた。当時は現在ほど日本語でかかれた専門書は多くなかったので、中国語の専門書を東方書店や燎原書店などから毎月段ボール箱に・・・と購入し続けた。

 気に入った本で愛用する書籍は必ず複数購入した。「中医病機治法学」などは少なくとも5冊以上購入しているし、それに近い書籍は多い。紙質が脆いから直ぐに破損するので座右に置く書籍は必ず複数用意しなければならない。

 もちろん、購入した膨大な書籍をすべて読めるはずがないが、背表紙を読むだけでも知識になる(笑)。というか、何かのときに調べるのにとても重宝するのが、これら過剰に常備した書籍の存在価値である。
 この機微が分らぬ人とは、永久に会話は成り立たない。
 だから質問する相手を間違えているのである。

 これだけ膨大な書籍(6万冊以上、そのうち一般書籍も当然たくさん混入している!)を常備しているからといって、全部読めるわけがない。アタリマエだ。全部読まれたのですか? と馬鹿な質問をする人が多いが、それだけでその人とは会話は成り立たない。

 信じないかもしれないが、ヒゲジジイ自身は読書家だとは思わない。あらゆる分野において、他人様や図書館からでさえ本を借りるのは好きではないので、基礎資料として膨大な書籍が傍になければ安心できない。何かを疑問に思ったら、一定レベルの知識を得たいと思うので専門書籍のみならずあらゆる分野のかなり専門的な書籍も常備しておかなければ不安である。
 ただ、それだけのことだ。

 大概において重要書籍や気に入った書籍は複数所持していることが多いが、人に請われても絶対に貸さない。書籍に関してはひどく吝嗇である。過去、うっかり貸したために永久に戻って来なかった本は膨大である。催促しても紛失したとノタモウならず者が多い。だから最近では本を贈呈することはあっても貸すことは二度とない。

 専門分野の本代をケチる人は、決してその道のプロにはなれないだろう、なれるはずがないと確信している。
 自己の価値観を基準にして世間を判断するのは当然の行いであり、だから「和して同ぜず」というコトワザも生まれるのである。


 昨今は、ネットで調べることが出来るので便利のようだが、あきらかに不十分である。
 実際のところ、漢方を多少とも修得するためには、膨大な種類の書籍が必要であることは間違いない。濫読しつつも自分なりの中医学大系を頭の中に築かないことには、漢方でメシを食っていくことが出来ない。実践してみると良く分る。付け焼刃の借り物の知識では、ありきたりな病気しか治ってくれない。
 一定レベル以上の病気になると、教科書通りの人は滅多にお目にかかれないので、漢方薬がなかなか効いてくれない。

 たとえば、アトピー性皮膚炎などは本格的な漢方薬による治療が開始されたのはここ30〜40年くらいのものである。しかも当時はほとんどが子供であった。成人したら治ると日本国中の専門家たちが高を括っていた。
 ところがどっこい、成人しても治らない人が続出して現在に到っている。

 だから、アトピーの教科書的な漢方治療方法が正しいとばかりは言えない。基礎理論をマスターしたら、みずから理詰めで新たな方法を生み出すくらいの気構えでなければ、仕事にならない。
 ありきたりな教科書ではアテにならない。また、当然のことながら漢方の世界では病名だけでは適切な処方は選べない。

 なんか最初に書く予定だったものとはかなりずれてきたのでもう止める。きっと眠くなったのだろう、老人だから・・・
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2007年06月16日

保守的でなくしては生まれ得ない創造性について

 昨日は保守ジジイを敬遠されるお馴染みさんのことを書いたことで、フッと思い出したのが27年前(当時30歳)に書いた日本漢方界の巨星、故大塚敬節先生の追悼文『大塚敬節先生の私淑者としての思い出という拙論の後半部分である。
 当時の月刊『和漢薬』誌に掲載されているので、いずれ、全文をどこかのサイトに転載しておきたいと思うが、本日のタイトルに関連する部分だけを抜き書きしたい。

 革新的なもの斬新的な発想や創造的な仕事を行うには保守的でなければ真の革新や創造性は生まれるはずがないという我田引水的な論調だが、一面の真理を突いているものといまだに信じるものである。
(前半部分はすべて省略)
 消滅しかけた日本の漢方を、今日ある漢方の隆盛の勢いに導いた最大の功労者の一人である大塚敬節先生を失った今、日本の漢方界は、「術としての漢方」を置き忘れることのないよう、残された先生の多くの御著作に、常々、立ち返り、日本の伝統的漢方の質の高さについての認識を新にする必要があるのではないでしょうか。

 とりわけ、先生の御高著「漢方の特質」を座右の銘として、中医学を研究するにも、漢方を科学的に研究する時にも、我々日本人の血に流れる、大地性、一文不知性、単刀直入性、具体的真実性、即生活事実性に根ざした特質を充分に認識する必要があるのではないでしょうか。

 けだし、過去の伝統の理解なくして、また、精神的に帰するところが保守的でなくしては真に創造的なものは生まれて来ない。

 革新とは、保守あっての革新であり、革新は保守的である時にこそ真の革新が生まれ、保守的なものを内在しない革新は、砂上の楼閣に等しい。

 伝統を踏んで、自分の足場をしっかり知るもののみが、新しいものを産み出し、真に創造的であり得る。


 大塚先生の漢方は、それらのことを、臨床家の実践哲学の記録としての御著作で、我々にお教えくださっていたのではないでしょうか。

(後略)
━村田恭介著「求道と創造の漢方」東明社刊の315頁
 あらゆる分野で共通して言えることだと思う。
 伝統を保守し、先人の業績を理解するとともに敬意を表することなくして地に足の着いた改革は行えないだろう。
 あらゆる分野において古典が重視されるのもこの理由からであろう。

 だからこのどうしようもなく腐り果ててしまった日本國を憎みながらも、やっぱり愛さずにはおれないのである。
 憎いのは腐り果てた現代日本社会であり、百年前以前の日本はすべて美しいのである。それは随分前に過ぎ去った過去だからこそ美しいのである。美しいところしか見ないようにするからますます美しいのである(笑)
posted by ヒゲジジイ at 21:37| 山口 ☁| 漢方薬や中医学の学習方法および懐かしい拙論 | 更新情報をチェックする

2007年04月29日

古書店でまともな古書価が付いたらしい『求道と創造の漢方』村田恭介著

 宣伝したところで最早印税が入る訳でもなし(笑)、日本漢方から中医学に次第に転向しつつある時代の象徴的な拙著ではあるが、いつの間にか古書店では人並みの古書価がついたらしい。

https://www.kosho.or.jp/list/728/01136591.html

定価よりも高く評価されて2,100円〜2,600円で販売されている。
 するともしや新刊は売りつくされたのだろうか?

求道と創造の漢方


 当時2,000部出版されると同時に印税をまとめてもらえたからその数十万円の印税を、当時のダイワ精工でもっとも高級な磯竿だったアモルファス・ウイスカー・トーナメント磯シリーズ各種の釣竿にすべて使い果たした。

 当時は超高級竿だっただけに、今もすべて健在で現役で活躍中である。
 他にも磯竿は沢山蒐集して使いまくったが、当時の最高級品は、少々乱暴に扱っても折れないしへたらない。
 
 釣具屋さんも当時の竿が一番丈夫だったと太鼓判を押すほどだ。
posted by ヒゲジジイ at 17:09| 山口 | 漢方薬や中医学の学習方法および懐かしい拙論 | 更新情報をチェックする

2007年03月31日

日本漢方と中医学の長所と短所についての御質問

 からの御質問

性別 : 男性
年齢 : 20歳〜29歳
簡単な : 関東地方
具体的な御職業 : 大学院生
ご意見やご質問をどうぞ : こんにちは、今年、韓国で韓医学科を卒業した韓国人です。
 これから、新しい旅立ちを前にいろいろ悩みを抱えている日々を過ごしています。

 韓国漢方は新方と言う点から中医学と類似点が多いということですが・・私の国では日本を古方派、韓国中国を新方派と定義しております・・よって、わたくは新方派ということになると思います。
 ホームページを閲覧したところ、新方、古方を両方勉強されたとのことですが・

 1.新方と古方の各長短所は具体的に何でしょうか?

 2.また、それらを融合する意義は何でしょうか?

 3.実際、両方を学習した経験から、どちらが難しかったのでしょうか?

 4.日本で漢方をやっている方は約何割ぐらいが新方(もしくは中医学)をやっているのでしょうか?

 5.日本では医学部での卒後研修(和漢診療学講座)において漢方教育がなされると聞きますが・・そこで教えているのは古方でしょうか? それとも古方、新方両方を教えているのでしょうか?

 6.私は東洋医学の客観性、再現性向上のために証の西洋医学的分析が必要だと思いますが・・そのために古方、新方を融合した知識は役に立つのでしょうか?

 以上の6点でお願いします。
 ちなみに私は古方、新方、西洋医学を融合したい理想を持っています。そう言った趣旨で今回の質問をさせていただきました。
 宜しくお願いします。


ヒゲジジイのお返事メール:拝復
 個人的な経験からのお返事になりますが、HP上に公開している拙論を御紹介しながら、それぞれのご質問に対する小生の見解をそれぞれ簡単に示したいと思います。

>1.新方と古方の各長短所は具体的に何でしょうか?

 中医学には医学体系として哲理が確立しており、論理性の点でも優れているが、日本漢方では東洋医学的な哲理に乏しく論理性の面でも虚実論など、幼稚さから脱却し切れていない。数十年前までは寒熱理論を無視されていたに近く、過去の口訣ばかりに頼った臨床報告が多い。
 日本漢方の優れた点としては、過去の歴史的な基本方剤を最も重視し、中医学派の一部の先生のような基本方剤をお手本とせず、最初から方剤を自前で組み立てることはしない。

日本漢方の将来「中医漢方薬学」の提唱(平成元年の提言!)

中医学と漢方医学(村田恭介著)

の拙論にこそ、二つのご質問に対するお返事になると思います。

>3.実際、両方を学習した経験から、どちらが難しかったのでしょうか?

 これについては、やはり専門用語の豊富さと論理における複雑性においても、中医学の学習の方がはるかに学習に困難を極め、実際には教科書で示される典型的な患者さんは現実にはいないに等しいわけですから、中医学理論を有機的に活用してご相談者に適切な方剤を提示することがなかなか出来ない、つまり臨床に直結した学習とはなりにくかった。
 その点、日本漢方は過去の口訣に頼って、方剤運用の分かりやすいコツが示されているので、一年も真面目に学習すれば、ありきたりな病気には一定レベルの成果を挙げることが出来た。

中医漢方薬学に目覚めるまで・・・日本漢方(漢方医学)の問題点

>4.日本で漢方をやっている方は約何割ぐらいが新方(もしくは中医学)をやっているのでしょうか?

 現実には中医学を学ぶ人が爆発的に増えており、おそらく漢方を真に専門的に学ぶ専門家の8割近くが中医学を中心とした学習をしていることと思われますが、日本東洋医学会などの機関誌に掲載される論文や製薬メーカー主導の各病院やクリニック等への売り込みはエビデンス漢方ばかり。
 このためテレビなど各マスコミでも取り上げられるのが、どうしても日本漢方やエビデンス漢方ばかりが目立っているように思います。

 問題は膨大な数を占める漢方を専門としない西洋医学専門の医師が投与される医療用漢方は製薬メーカー主導によるエビデンス漢方が主流で、このエビデンス漢方のみによる医師が爆発的に増えている現状と思われます。(医療用漢方の使われ方の実態は、小生には多くの身近な身内医師による報告から実体がつぶさに把握できています。)
 これらの実体からいえば、真に専門的に中医学を学ぶ医師も薬剤師も全体からいえば、まだまだ少ないことになりそうです。

>5.日本では医学部での卒後研修(和漢診療学講座)において漢方教育がなされると聞きますが・・そこで教えているのは古方でしょうか?

 古方のようです。論理的思考能力の高い日本の医学部医学科卒業者が、多くの点で論理性と科学性に欠ける日本漢方のありかたに多大なる疑問を呈することがないとは不思議と言うほかはありません。
 日本漢方ナショナリズムから脱却できない一派が日本漢方の表看板を代表されている実体は、砂上の楼閣のように思えてなりません。

>6.私は東洋医学の客観性、再現性向上のために証の西洋医学的分析が必要だと思いますが・・そのために古方、新方を融合した知識は役に立つのでしょうか?

 日本漢方の欠点ばかり述べるようですが、現実には臨床面において、各基本方剤の運用面で、日本漢方には過去の膨大な治験例と口訣が蓄積されており、一つの方剤の運用において、異病同治の方剤運用に優れています。中医学的に説明困難な方剤運用による著効例は過去に数多く蓄積されています。

漢方医学発展への道 (中医学と日本漢方)

 この点で、日本漢方における口訣や治験例を中医学的に分析解明することは中医学発展の為にも是非必要なことだと考えています。

 なお、中医学と西洋医学の比較では、

中医学と西洋医学━中西医結合への道 村田恭介著

 この拙論のような西洋医学批判も必要だと考えます。
 疾病の本質を病名として提示出来る中医学は、やはりある意味では西洋医学をはるかに凌ぐ優れた医学体系であると思います。

 以上、少しでもご参考になれば幸いです。
                     頓首
            村田恭介拝

posted by ヒゲジジイ at 18:52| 山口 ☁| 漢方薬や中医学の学習方法および懐かしい拙論 | 更新情報をチェックする

2006年07月22日

中医学派の収集癖

 実はこれ中医学派の病気?の続編。
 月額290円で借りているgooブログアドバンス。あのブログはほとんど画像も無制限に近い、
画像の容量が、なんと1T(テラ=1024GB)!
残容量を気にすることなく、思いっきり写真&動画付きブログを行うことができます。
と宣伝文句にあるほどだから、借りがいのあるブログだが、その続きを今回は本ブログにした。
 同様に前置きとして
 1990年1月号(新年号 通刊440号)の『和漢薬』誌に「新年偶感」と題して、コント風の毒舌を吐きまくっているのが見つかった。
 主として医師や薬剤師しか目を通さない漢方と漢方薬の専門誌というものは、新年にちなんでユーモアを交えた毒舌を楽しみにしてくれる人もあって、書くほうも楽しかったものだが、これをブログに再録するとなると、専門外の一般の人々の目に触れることになるから、文字通りに受け取って誤解されても困るのだが、このユーモアとともにある程度は真理を穿った毒舌を真に受け過ぎるほうにも問題があるだろうと、割り切ってここに再録することにした。
ということだから、そのおつもりでっ!



    中医学派の蒐集癖

 中医学を行うには多種類の中草薬を揃えておかなければならない。毎日毎日、メーカーさんに電話して、あれはないか、これはないかと常に探索と調査を怠ってはならない。実に中医学の第一歩は中草薬の買い漁りである。

 以上のことは根本的に間違っている。中医学の特徴の一つは、その土地(中国国内それぞれの省のこと)で手に入る限られた種類の原料でも、有効な処方をかなり自由に組み立てることが出来るということである。
 そのことを敷衍すれば、たとえインスタント漢方のみの扱いでも、それ程不足を感じる必要はない。
 だから日本で中医学の基礎理論が根付けば、おのずから日本独自の≪中医漢方薬学≫へと発展すること請け合いである。

 蒐集すべきものは中草薬ではなく、中医学書であるべきだ。漢方が盛んになったと言われる我が国の研究書出版面における貧困さは目を覆うばかりである。
 経済大国といわれる日本において、この出版物の貧困さはそのまま学問の貧困さを証明するようなものである。

 ところが流石に本場中国では、まさに汗牛充棟。毎年発行されるハイレベルの中医学書は出版の洪水だと表現しても決してもオーバーではない。毎月の出版点数だけを計算しても日本の一年分を遥かに凌駕する。
 内容のレベルの比較においては言わずもがなであろう。

 現在小生が最も愛読し学習中の「中医病機治法学」(四川科学技術出版社)などは日本の中医学研究家に示唆することは大きく、「寒温統一論」(上海科学技術出版社)、「中医病理」(広東科技出版者)、「歴代名方精編」(淅江科学技術出版社)など、愛読書をあげれば際限がないが、小冊子ながらお気に入りの「臓腑経絡学説」(天津科学技術出版社)は基礎理論の重要な部分が要領よく解説され大変理解しやすい。
 これらの学習の成果として≪傷寒論≫に対する認識を深めたつもりであるが、それは後半で述べたい。

 現在日本で翻訳されている中医学書にも大変優れたものがあるが、まだまだ不十分である。
 中医学の学習を更に深めるには中医学書の原書を蒐集することから始めるべきである。
posted by ヒゲジジイ at 00:22| 山口 ☁| 漢方薬や中医学の学習方法および懐かしい拙論 | 更新情報をチェックする

2006年05月31日

「中医学と漢方医学」という拙論

 調べものがあって久しぶりに故張瓏英先生(京大医学部出身)の御高著『臨床中医学概論』を開くと、パラリと落ちてきたのが1989年1月号の『和漢薬』誌だった。
 その巻頭に拙論『中医学と漢方医学』が掲載されている。

 ホンの少しだけ読んで見ると意外に新鮮。
 医師・薬剤師ばかりを対象とした専門誌であるはずだが、この内容なら一般の人にも十分意味が分る書き方をしているものと、我ながら他人の文章をはじめて読んだ時みたいに感心している。
 さもありなん、読み直すのも少なくとも十年以上はなろうし、執筆当時からは既に十七年を経ているのだから。

 というところで、これをホームページに転載するか、本ブログに転載するか迷ったところで夜中の二時を過ぎた。
 明け方四時半頃にはサッカー日本代表がドイツと練習試合をするらしいので、それを見るまで起きていたら、もう二度と明日は訪れないかもしれない。

 どうも、くだらんことで思案ばかりしているね。そろそろ老人ボケかモバQ

 ともあれ、昨今、昔の拙稿ばかりを取り出して活字を埋めるほど枯渇してしまったということかexclamation&question  まさか〜〜〜〜どんっ(衝撃)ダッシュ(走り出すさま)


追記
 サッカー、独逸戦は二時半に就寝して五時半に起床、前半の終わり頃から観戦できた。結果は2対2で、十分善戦と言える。

 なお、上記の「中医学と漢方医学」は、リンクしているところへ投入することにしたが、フロッピーに保存が無かったので、『和漢薬』誌の現物を見ながら写すことになったので、完成するまでには大分時間がかかりそう。
posted by ヒゲジジイ at 02:12| 山口 ☀| 漢方薬や中医学の学習方法および懐かしい拙論 | 更新情報をチェックする

2006年05月26日

中医学と日本漢方の接点としてのエキス剤

 タイトルの「中医学と日本漢方の接点としてのエキス剤」は1990年9月発行の季刊『中医臨床』誌(通巻42号)に発表した拙論である。
 これを土台に大幅に加筆修正して昨年、漢方薬専門・漢方相談/村田漢方堂薬局に、

漢方医学発展への道 (中医学と日本漢方)異病同治の日本漢方と、同病異治の中医学を合体した『中医漢方薬学』

 として公開している。
 しかしながら元版も捨てがたいところがあるので、本ブログに公開する。

 6月中旬になって過去の拙論を集大成する目的のサイト

漢方薬は漢方医学に中医学理論を導入した中医漢方薬学

 を開設したので上記拙論を移転することとなり、現在は

中医学と日本漢方の接点としてのエキス剤

 で公開している。
posted by ヒゲジジイ at 11:31| 山口 ☁| 漢方薬や中医学の学習方法および懐かしい拙論 | 更新情報をチェックする

2006年05月21日

中医漢方薬学の理念

 今から十一年前の拙論『中医漢方薬学の理念』を本ブログに掲載したかったのだが、この高性能のシーザーブログさんは、大変残念なことに第二水準レベルの漢字の多くが使用できない。

 そこで急遽別のブログ「白衣を脱いだ漢方と漢方薬のヒゲ薬剤師」に掲載することにした。

中医漢方薬学の理念(上) 『和漢薬』誌500号記念
中医漢方薬学の理念(下) 『和漢薬』誌500号記念

 これからの「中医漢方薬学」 実際の雑誌の表紙は「中医漢方薬学」にある内容と一部重複するが、雑誌記者のインタビューは、当方の言った「痰濁(たんだく)」という説明がどうしても理解されず、日本古方派の先生方が主張される「おけつ」というありきたりな概念を押し通されることに憤った部分など、マスコミ取材の記者における独断と偏見の問題も突っ込んで取上げているので、物見遊山としては面白い記事になっているかもしれない。

 カタグルシイ拙論の中にも現実にあった裏話も暴露しているのだった。
posted by ヒゲジジイ at 13:30| 山口 | 漢方薬や中医学の学習方法および懐かしい拙論 | 更新情報をチェックする

2006年05月20日

アトピー性皮膚炎と補中益気湯

 平成六年の『和漢薬』誌の新年号の巻頭随筆として依頼されて書いたものの中に、一面的な内容だった『アトピー性皮膚炎の中医漢方薬学療法』(本ブログに「2006年05月13日:壮大?な失敗作:アトピー性皮膚炎の中医漢方薬学療法」として転載しているもの)に対する補足を書いている文章が見つかった。
  アトピー性皮膚炎と補中益気湯

 近年、爆発的に大流行しているこの疾患は、難治性なるがゆえにマスコミに大きく取り上げられ、日本の漢方界でも多様な治療方法が研究発表され続けていますが、漢方や中医学にとっても、決して容易な疾患ではないようです。

 筆者自身も本誌四六一号に『アトピー性皮膚炎の中医漢方薬学療法』と題して、黄連解毒湯と滑石茯苓湯(猪苓湯)や六味丸・三物黄芩湯などの合方に、食餌療法の一環としてウチダのイオン化カルシウム併用による方法を発表させて頂いたところ、各地の先生方から好評を得ることができました。

 ところが、最近は拙論で発表した方剤の組み合わせの範囲内では、十分に解決できないケースが出現しており、新たに補中益気湯や五苓散・辛夷清肺湯などが、配合方剤の一環として重要な位置を占めるようになっています。

 とりわけ、脾や肺の気虚を無視できない病態が増えており、数年前までの「黄連解毒湯+滑石茯苓湯や六味丸」が主体であったのに加えて、「黄連解毒湯+補中益気湯+滑石茯苓湯」のパターンが増加しています。

 前記拙論の発表当時は、補中益気湯類などの脾虚に対する方剤に関心をよせつつも、アトピー性皮膚炎に使用する必然性を認めることができなかったのですが、ここ二年間に爆発的に使用機会が増え続け、これによって当時と同レベルの有効率を、何とか維持しているのが現状です。

 したがって、前記の拙論は一部修正・補足する必要が生じているものの、補中益気湯類がアトピーに応用され得る理論的根拠は、すでに同拙論中に「脾虚について」と題した項目を設けて、ある程度のヒントを述べています。

 このように時代と共にアトピー性皮膚炎に対する経験と考察が深まるにつれて、豊富な手法を次第に習得してゆき、昨今は来局されたアトピー性皮膚炎の皆さんだけがご存知の一大飛躍?をなしとげて、普遍性と個別性をバランスよくミックスした手法を完成しつつある時代を迎えているということです。

 但し、中医学的にかなり正統派的手法であるのは、間違いなく
脾肺病としてのアトピー性皮膚炎
 の拙論です!

 しかしながら、昨今の方法の方が中西医結合的手法も用い、かなり普遍性のある方法を土台として一応の完成をみているわけです。

 実際に現在、服用中の方だけがニンマリとうなずく方法ですよね?!
 但し、保険は一切きかない漢方専門薬局の医薬品が主体ですから、ほどほどの経費はかかります。
posted by ヒゲジジイ at 02:34| 山口 ☁| 漢方薬や中医学の学習方法および懐かしい拙論 | 更新情報をチェックする

2006年05月17日

『アトピー性皮膚炎の漢方治療』を読んで

 今回のタイトルは、ちょうど10年前の1996年9月号の『中医臨床』誌に掲載されたヒゲ薬剤師による拙文である。
 アトピー性皮膚炎の漢方治療の目次にあるように、ヒゲ薬剤師自身も参加した専門書ではあるが、当時、編集長に依頼され、読後感を書くことになった。
 内容としては、アトピー性皮膚炎のことよりも、『患者よ、がんと闘うな』などの諸著作によって当時かなり物議を醸した近藤誠氏のことを中心に書いている。
 これには一つ理由があって、ヒゲ薬剤師自身が足に悪性黒色腫(メラノーマ)を疑われるホクロの異変を認め、どの病院で諸検査を行うべきか悩んでいた頃であったという極めて個人的な苦悩の影響もあったようである。
 結局は試験切除によって病理検査の結果はまったくのシロだったものの、外見上の疑わしさから、試験切除前に患部の画像を何枚も撮影されたことで、ますます悪性であることを確信したり・・・・・という裏にはこんな事情の隠された拙論であった。
 長い前置きはこのくらいにして、当時の拙文を以下に全文掲載する。
 後日(6月25日に、アトピー漢方専門サイト
漢方薬によるアトピー性皮膚炎治療薬研究論説集
 を開設したので、そちらに移動した。以下をクリックされたしひらめき

『アトピー性皮膚炎の漢方治療』を読んで

posted by ヒゲジジイ at 22:15| 山口 ☔| 漢方薬や中医学の学習方法および懐かしい拙論 | 更新情報をチェックする

2006年05月15日

アトピー性皮膚炎における去風薬配合上の問題点(『中医臨床』誌1993年3月号に発表分)

 文字通りの「拙論」アトピー性皮膚炎における去風薬配合上の問題点(『中医臨床』誌1993年3月号に発表分)は13年前の拙論とて、やはり一面的な記載が目立ち、現在の考えと異なる部分もある。

 ただ、一部に参考価値のあるものも含まれるので、敢えて懐かしい拙論として掲載してみることにした。

 はっきり言える事は、当時はステロイドによる副作用を解除するのに寒涼薬を使用する機会がやけにに多かったということで、わずか十数年足らずで、やや隔世の感がある。

 拙論の中では、最も順当で無難かつ中医学的にも正当性を十分保持出来ているのは、やはり

脾肺病としてのアトピー性皮膚炎


 であるが、昨今は、これに加えて中西医結合的な手法で、栄養学的なミネラル学を応用したものをベースに、上記のような中医学的弁証論治にもとづいた漢方処方を併用することで、有効率100パーセントを走行中である。

posted by ヒゲジジイ at 00:46| 山口 ☀| 漢方薬や中医学の学習方法および懐かしい拙論 | 更新情報をチェックする

2006年05月13日

壮大?な失敗作:アトピー性皮膚炎の中医漢方薬学療法

ウチダ和漢薬発行の『和漢薬』誌1991年10月発表の文字通り拙論(つたないロン!)。

 論点が一面的過ぎるところがあるのが大いなる欠点であるが、一面ではかなり参考価値の高い考察もかなり含まれているので、失敗作とは言え、とても思い出深いものであるが、この拙論だけでアトピー性皮膚炎が解決できるほど甘いものではなかったのだ。

 これに比べれば、
肺脾病としてのアトピー性皮膚炎の方が、遥かに進歩しているので、両者を足して二で割らなければならない!

 下記の拙い論説をすべて鵜呑みにして黄連解毒湯を乱用し過ぎると、氷伏(ひょうふく)を生じることもあり得るので、あくまで一つの考え方として参考にする程度にして頂きたい。もちろん素人療法は禁物である。

 追記:6月25日をもって下記の新しいサイトに移転したので、その「ツタナイ拙論」は下記をクリックすれば到達できる。
 (つたないといっても、適応する場合は意外に劇的効果を示すのである。)

   アトピ−性皮膚炎の中医漢方薬学療法
           
posted by ヒゲジジイ at 01:12| 山口 ☁| 漢方薬や中医学の学習方法および懐かしい拙論 | 更新情報をチェックする