2010年08月28日

甘草大量使用による副作用自験例・・・芍薬甘草湯の配合比率の問題

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IMG_3577 posted by (C)ヒゲジジイ

 今から三十年前のバリバリの日本古方派時代の体験。

 子供のいたずらを叱って「こらっ!」と怒鳴って振り向きざま腰を捻って拳(コブシ)を上げたと同時に右腰から足の先端にかけて激しい筋肉の引き攣りを生じて立てなくなった。

 もう一度は煎じ薬の原料生薬を沢山保存しているブリキの衣装缶を抱えた途端、同様な症状を生じたとき。

 いずれも芍薬甘草湯の煎じ薬で速効を得たものの、不安が残るのでさらに継続服用していたとき、いずれのときだったかは定かではないが、数日目に生じた突然の激しい排尿困難にはとても難儀した記憶が鮮明に残っている。

 まるで急性膀胱炎と同様な症状で、尿意を催しても排尿が出来ない。いきんでも気張っても排尿できない。猪苓湯を大量に服用して難を逃れたが、甘草の大量使用による副作用は一過性のものであっても難儀である。
 当然、このような症状が生じたら即中止すべきである。

 だからその後、初めて経験した尿路結石で疼痛が生じたときでも、しばしば日本漢方で行なわれる芍薬甘草湯合猪苓湯は用いず、もっぱら猪苓湯去阿膠加金銭草などを主体に自己治療した。

 もしも猪苓湯合芍薬甘草湯をどうしても用いたい場合は、甘草の配合量を極力少量に抑えておくべきである。

 ともあれ、日本漢方における芍薬甘草湯の配合比率において、芍薬と甘草が同量であるのは悪しき古典主義の弊害であるとしか言いようがない

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IMG_2832 posted by (C)ヒゲジジイ

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IMG_2782a posted by (C)ヒゲジジイ

ラベル:甘草 芍薬甘草湯
posted by ヒゲジジイ at 08:46| 山口 ☁| 日本漢方の情けない現状と限界 | 更新情報をチェックする

2010年08月24日

中医学と日本漢方

スズメのボクちん
スズメのボクちん posted by (C)ヒゲジジイ

ブログへの転載の可否 : ブログへ転載を許可します
年齢 : 40〜49歳の男性
簡単なご住所 : 関東地方
お問い合わせ内容 : 村田先生、突然のメールお許し下さい。
 今、先生の過去のブログを順々に読んでおりました。そこに中医学と日本漢方の違いがかかれており、日本漢方は中医学を取り入れなければ明るい未来はないというような趣旨のことが書かれておりました(村田先生とはあまりに文才が違いますので拙い表現で申し訳ございません)

 私は村田先生のブログを読ませていただくまで日本漢方、中医学という存在はしらず、漢方はひとつの流派だと思っておりました。それで現在かかっている漢方医はもしかしたら日本漢方の先生ではないかと心配になってしまいました。

 私は慢性胃炎で病院で治らず、それならば漢方ということでツムラの漢方を1年服用しましたが治らず、現在、自費の煎じ薬を2週間程服用しております。
 その先生は相当昔の書籍を見せてくれ秀吉が飲んでいたとおしゃっておりました。その先生にかからせていただいてまだ2週間と短期なので村田先生がおっしゃるようにピントがあっているかわかりません。

 ただ、その先生の著書を見ても、中医学とか弁証論治という言葉が見当たりません。その先生は非常に熱心にみていただいているのですが、もし日本漢方の先生ならば通院はやめて中医学の先生を探してそちらの先生にした方がいいのでしょうか。

 その先生とは多分、村田先生も御存知かもしれませんが△△〇〇の◎◎医院 ●●●●先生です。非常に熱心に見ていただいておりますが、村田先生のブログを熟読させていただいて中医学の先生か不安になってしまいました。

 もしかしたら村田先生とも面識があるかもしれませんので私から村田先生のことは一切公言しません。通院できなくなってしまっては困ってしまいますので内密にお願いします。
 面識もない者がこのようなお願いをするのは図図しいと思いますし村田先生が古き良き日本人を愛してやまないのは重々承知しております。

 お返事頂けるかどうか村田先生の御判断一つなのはわかっておりますし、一銭の得にもならないのに本当に申し訳ございません。

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IMG_8964 posted by (C)ボクチンの母

お返事メール: よくある一般的な疾患の場合、もちろん慢性胃炎はその代表的な疾患ですが、日本漢方では豊富な過去の治療実績があるので、ほとんど心配は無用です。

 但し、半年から一年通院されても効果がみられなければ、そのときは中医学を専門とされる先生を見つけられたほうがよいと思いますが、日本漢方でも自費の漢方の場合、経験豊富な先生ですので、おそらく大丈夫だと思います。

 一定レベル以上の疾患や特殊な疾患、特殊でなくともこじれたアトピー性皮膚炎などのように、理詰めの分析が必要な疾患になればなるほど、理論の乏しい日本漢方では厚い壁が生じる場合があります。

 なお、日本漢方にも様々な流派が存在しますが、いずれも中医学的な弁証論治を取り入れている流派はほとんどないようです。
 以上、取り急ぎお返事まで。


編集後記: 上記のお問い合わせの文章内容と、その後のメール交換で書かれる文章内容から察するに、もしかして胃神経症の可能性も高く、胃癌でもないのに悩まれる度合いから考えても、むしろ森田療法を受けた方がより効果的かもしれない。

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IMG_0428 posted by (C)ヒゲジジイ

ラベル:日本漢方 中医学
posted by ヒゲジジイ at 23:03| 山口 ☀| 日本漢方の情けない現状と限界 | 更新情報をチェックする

2010年07月22日

早速やってきたモノマネ野郎からの誹謗中傷メール

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DSC_5542 posted by (C)ヒゲジジイ

お名前 : 方術家
ブログへの転載の可否 : ブログへ転載を許可します
年齢 : 40〜49歳
簡単なご住所 : 愛知県
具体的な御職業 : 薬剤師
男性ですか女性ですか? : 漢
誹謗中傷メールの全文 : おたくの発言は支離滅裂。卜菴先生の教えが理解できなかったらしいね。古方を一から勉強し直した方が良いよ。


編集後記: 付和雷同のモノマネ野郎はともかく、尊敬すべき卜菴先生著「新古方薬嚢」に記載される乾姜(カンキョウ)や白朮(ビャクジュツ)などの選品には、まったく賛同出来ない。

 たとえば白朮(ビャクジュツ)の選品についての記載は
 古立蒼朮を上品となす。併し和の品物にても・・・
と、しょっぱなから首を傾げたくなる記載が見られる。


 ともあれ、古方、コホウ、と古方の研究以外になすことを知らない連中の精神の怠慢は、現代社会ではもはや通用しない。

 つまり、日本の漢方界では漢方医学の研究は傷寒論にはじまって傷寒論に終わるという神話がいつの間にか形成されているが、古典の重要性を忘れて現代中医学の入門書に魅かれる若い人達を説得するのはある意味では正当といえなくもないが、中医学はいっさいまかりならぬというに到っては病的というほかはない。

 この種の病的反応は日本国内の漢方界にはまだまだ蔓延しており、中医学へのアレルギーは、傷寒論・金匱要略という古典崇拝の看板に隠れて難病に適した配合方剤の研究をはなから放棄した精神の怠慢を暴露していることに他ならないのである。


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DSC_5550 posted by (C)ヒゲジジイ

posted by ヒゲジジイ at 18:11| 山口 ☀| 日本漢方の情けない現状と限界 | 更新情報をチェックする

2010年04月30日

日本の漢方医学について

撮影者:関東地方の内科医師


おたより:関東地方の内科医師

 ブログの記事を拝見し、時代も変わってきているんだなと思いました。
 新しい東京タワーも350メートルまで高くなりました!

 大塚敬節先生も伝説の人になってしまいましたね。大塚先生とお話された経験を持っている人も、既に少なくなっているのかも知れません。
 自分が大塚先生に治療して頂いた経験からすれば、「とても優しい先生」という思い出が一番です。医者が患者に接するときの心構えを、自分の知らないうちに教えて下さった様な気もします。

 その大塚先生、そして大塚先生の師匠である湯本先生も、病気でお子さんを亡くされています。その大きな悲しみから学校で習った医学を捨てて、漢方の世界に飛び込んだ先生達で、お二人の生き方には感動を覚えます。

 その当時、漢方薬を扱う医者は気違い扱いされる様な時代でしたよね。一般の医者に相手にされない漢方を広めるには「患者さんを治療していくこと」が優先されたのかも知れません。そして、そんな先生達が漢方を現代に伝えていることは間違いない事実だと思います。

 さて、時代も変わり、漢方も一般的になり、多くの人が漢方薬を使うようになってきました。今、漢方に接している人達がすべきことは、次の時代に橋渡しすることなのかも知れません。理論的背景をしっかり考えようとする理系的頭脳の人達も漢方薬を使う時代に移りつつあり、次の段階へと漢方は進歩して行くのでしょう。

 自分も棺桶に入る前に何か書き残さなくては…(汗。(独り言→村田先生も一冊の本にまとめて下さったらなぁ・・・きっと1000ミリの望遠レンズが買えるでしょうねぇ・・・笑)

 そんなことを昼食を食べながら感じました。
 今日の病院の昼食は「ラーメンとチャーハン、ポタージュ、プリン…など」ですね。
 この内容のギャップが病院食らしいなぁ〜とか感じております(笑。

ゴイサギ
ゴイサギ posted by (C)ヒゲジジイ

お返事メール:
貴重なおたよりありがとうございます。
添付いただいたタワーの様子、まるで天と繋がった風情ですねっ!

ところで、ヒゲジジイとて大塚敬節先生は、若かりし頃のアイドルでした。

大塚敬節先生の私淑者としての思い出

 この通りですが、伝統医学というものは「批判的に継承」されてしかるべきものだと思います。

 拙論の これからの「中医漢方薬学」 の後半部分にありますように、
●継承と発揚のために

 よりよい生を求めて、ヘーゲルはカントを、マルクスはヘーゲルを、フランスのデリダやドゥルーズ、ボードリアールなどポスト・モダニストたちはマルクス主義を批判し、ポスト・モダニストたちの思想的源泉はニーチェ思想であり、そのニーチェはカントやヘーゲルを批判し、若い頃に心酔していたショウペンハウエルさえも批判した。

(ニーチェは、西欧の形而上学は神や超越的な真理に逃避する負け犬や弱者の哲学であるとして根本的な批判を加えたことは周知の通りであるが、現代思想における近代最大の思想家とされるにいたっている。ちくま文庫の竹田青嗣著『ニーチェ入門』を参照。)

 このように、その時代における社会的な現実認識の上から、前人の哲学・思想的業績に批判を加えることを通して、ヘーゲルもマルクスもニーチェも、ポスト・モダニストたちも、それ以前の思想や同時代の思想に批判を加えつつ独自の思想を構築してきたのであり、彼らそれぞれの思想は、彼らの暮らした時代の社会的現実の要請から必然的に生まれた業績であるといえるのである。

 批判が加えられたそれ以前の思想あるいは同時代の思想は、たとえその時代に最高の思想と信じられていたものであっても、やがては次の時代の社会的現実の要請にマッチした新たな思想が構築されるための踏台とされる宿命を担っていたのであり、同様に新たな時代の要請で生まれた新思想も、やがては同じ運命を辿る可能性を常に孕んでいる。

 このように、前人の業績は常に踏台として批判が加えられる宿命と必然性を担って推移してきた近代から現代にいたる西洋思想の発展過程は、中医学の今後の継承と発揚の大いなるヒントを提供するものである。

 成都中医薬大学の陳潮祖教授が御高著『中医病機治法学』の中で述べられているように、中医学は「哲学理論と医学理論が結合した科学的原理や法則」であるだけに、時代の現実的な要請に応じた難治性疾患に対するハイレベルな治療効果を求めるなら、すでに公理とされているような原理や法則についての再検討と再確認を行いつつ、時代の要請にマッチした新たな理論や法則の可能性について、純粋中医学の領域内に留まらず、現代西洋医学における病理学・薬理学など、近縁する諸科学を動員して、絶えず追求模索する必要性と必然性が生じるのである。

 ところで、『現代思想を読む辞典』(講談社現代新書)の巻頭に今村仁司氏の次のような文章がある。

 「特権的な思想の『語部(かたりべ)たち』は、一方ではいやがうえにも古典的文献を崇め奉り、他方では現代・同時代の諸思想を上から見下したり、軽侮の念をもって無視したりしてきた。例えば、学者の卵たちが現代的諸思想の研究に志す場合、彼らは先生たちから叱られたものである。教育上、古典の研究から始める方が精神の発展のためにはきわめて生産的であるという理由から教師たちが現代ものに魅かれる弟子たちをいさめるのはまことに正当ではあるが、その限度を越えて現代的な思想はいっさいまかりならぬというに到っては病的というほかはない。この種の病的反応は現在でもいたるところにみられる。現代思想へのアレルギーは、古典崇拝の看板に隠れて自分で思索することを放棄した精神の怠慢を押し隠すことにほかならない。こうした思想状況はそろそろ終りにしなくてはならない。」(傍線部は引用者)

 ここで、傍線部分をすべて「西洋医学」に置き換えてみると面白い。つまり、本場の中国でさえ、日本の漢方界と内容は微妙に異なってはいても、中医学界の新しい世代と伝統を守り続けてきた世代との相克がみられるのである。

 ここで再び面倒なことであるが、今度は引用文の傍線部分をすべて「現代中医学」に置き換えてみて欲しい。このようにすれば、少し前までの日本漢方界の状況がそのまま映し出されるわけである。ところが、現在の中国側から見れば、7年前から村田による「中医漢方薬学」の提唱もむなしく、日本の状況は基礎理論の研究と運用をないがしろにしたまま、現在にいたってもほとんど変化がないままである、と認識されていることは前述の『日本漢方医学』と題された中国書籍の結論部分を引用した通りである。

 哲学・思想界では、その時代の現実的な要請に応じて、常に前人や同時代人の業績が踏台として批判が加えられつつ、同時代にマッチした新たな思想が構築されてきており、その時代の社会的な現実認識の上で必然性があれば、ニーチェ思想のような復活をとげる現象もみられるなどの経緯を観察していると、中医学の将来としての中西医結合の必然性や、日本漢方の「中医漢方薬学」の必然性が動かしがたいものとして見えてくる。

 以上、煩雑になりましたが、すべてはこれにつきると信じるものです(苦笑。

チュウダイサギ
チュウダイサギ posted by (C)ヒゲジジイ

posted by ヒゲジジイ at 21:11| 山口 ☀| 日本漢方の情けない現状と限界 | 更新情報をチェックする

2010年04月29日

日本の漢方の実態

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IMGP0051 posted by (C)ボクチンの母

2010年04月21日 漢方処方の重要な薬味「乾姜」の問題について の続き

おり返し頂いたメール:お返事ありがとうございます。

 実は学生時代に、葛根湯を作ろうとした時、生姜4 と書かれていたので、 何も知らないまま、日局ショウキョウを 4g計り込んで、辛くて困ったことがあります。
 その時、はじめて、漢方でいう生姜と、日局ショウキョウが異なることを知りました。

 そういう経験から、ショウキョウは生のことをいうという認識でした。

 私は日本の漢方しか学んだことがありませんので、中医学のことは良く存知ません。

 ただ、村田先生のおっしゃるように、日本の漢方は理論らしい理論が無いと思います。

 漢方の入門書を読んでも、それと実際とが全く結びつかず、結局は、○○、××、△△という症状があれば◎◎湯 というような、いわゆる口訣漢方にならざるを得ないのが現実だと思います。
 病名漢方よりはましな気もしますが……。

 基本概念である虚実にしても、入門書では、汗をかくのは虚証としているのに、汗をかいている時に使う、麻杏甘石湯や越婢湯は実証用の薬方と、矛盾していても平気です。

 最近、『漢方の臨床』誌で、中村謙介先生が太陽病を熱証として良いのかということを提起され議論になっていますが、これも今まで(時々は話題になったものの)そう大きな問題になっていなかったのは不思議な所です。

 この寒熱については今もって良くわからない所があります。

 例えば、
1.砂糖は、よく体を冷えすと言われ、その理由としてサトウキビが南方の暖かい所で採れるからとしています。
 だとすると、北海道などで栽培される甜菜(ビート)から取れる砂糖は 温めるということになるのか?
 一般的な常識では、砂糖はカロリー源になるので、体を温めるような気もします。

2.唐辛子は体を温めると言われますが、もともと南方の植物で、本来は冷やすのではないか?
 実際、インドなどでは、唐辛子を含む香辛料を用いて汗をかき、結果として体温を下げると言われています。

3.越婢加朮附湯のように、石膏と附子が組み合わされたような薬方は、結局、体を温めているのか冷やしているのか?

 などなど、昔からの疑問が何十年とそのままです。初心者から脱出できません。

 大塚敬節先生の功罪は色々あると思いますが、やはり漢方は学でなくて術だとしてしまった所が最大の問題だったと思います。
 病気の治療という面だけで見れば、当時は学としてより術とした方が現実的な選択だったのかもしれませんが、そこで医学としての進歩は無くなったのではないかと思ってしまいます。

 日本の漢方は、将棋に似ているような気がします。
 将棋は、使える駒は決まっていますが、その使い方が名人と素人では異なります。
 将棋の駒を薬方と考えれば、同じように思われます。

 そして、中学生からプロになるような天才的な人もいれば、大人になってもヘボ将棋のままの人もいるように、漢方も、腕の差が大きいように思われます。

 それに、将棋にもある程度の理論(定跡)はあるものの、指す人の好みの型や戦法のようなものもあり、最終的には指す手を決めるのは、結局、理論というよりは直感です。

 これもいわゆる漢方に相通ずる所があるように思われます。

 朮の問題については、昔から混乱があったと思っておりました。
 最初に読んだ本(刈米先生の『生薬学』だったと思います)は、皮を去るかどうかで白朮と蒼朮を分けるとしていて、その後、植物が異なることを知りました。

 局方も昔は朮として記載しており、7改正か8改正の頃までは、白朮と蒼朮の区別がなかったと記憶しています。(かなりあいまいな記憶です)

 大塚敬節先生の影響が大きいとは知りませんでした。

 生薬の基原については 、他にも色々と問題があり、わかって使っている人は少ないのではないかと思います。

 特に日本の漢方は、薬方単位で使うことが多いので、その薬味にまで注意を払っている人は少ないと思います。

 その上、現在は、エキス剤が主流となり、生薬自体、ほとんど知らない人が多いのではないでしょうか?

 このような状態では、村田先生がおっしゃるような生薬の問題を取り上げても、余りピンとこない人の方が多いような気がします。

 思い付いた事を書いておりましたら、結局、まとまりが付かなくなってしまいました。

 この度は、わざわざお返事ありがとうございました。 サイトは時々拝見させて頂いております。
 今後とも、よろしくお願い致します。

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IMGP0053 posted by (C)ボクチンの母

お返事メール: とても貴重な体験談のご報告ありがとうございます。

 また、ブログに転載させて下さい。訪問者は同業者や各メーカーさんが多いので、きっと皆さんの参考と教訓にもなると思います。

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IMGP0057 posted by (C)ボクチンの母


posted by ヒゲジジイ at 00:30| 山口 ☔| 日本漢方の情けない現状と限界 | 更新情報をチェックする

2010年04月21日

漢方処方の重要な薬味「乾姜」の問題について

可愛い一人息子のボクチン
可愛い一人息子のボクチン posted by (C)ボクチンの母

年齢 : 40〜49歳の男性
御職業 : 会社員
簡単な御住所 : 中国・四国地方
具体的な御職業 : 薬剤師
おたより : 村田先生突然、失礼致します。

 私は、地方の中小企業の製薬メーカーの薬剤師をしております。製薬メーカーといっても、近年は健康食品がメインとなってしまっており、薬剤師としては働いているのかどうか怪しい状態です。

 時々サイトを拝見させて頂き勉強させて頂いているのですが、「生姜と乾姜の錯誤」http://www.choshu.info/kankyo.html に関連して、少し気になったことがあったので、投稿させて頂きました。

 先日、たまたま山田光胤先生の『漢方処方応用の実際』南山堂を見ておりました所、p.22の8.漢方薬の投薬法1) 薬物についてで、
〔生姜〕 傷寒論にある生姜は,なまのショウガである。〔乾姜〕 傷寒論の乾姜は,乾燥したショウガである.現在これを乾生姜と慣習上よんでいる.生姜の代りに乾生姜を用いるときは,1日分2.0gぐらいがよい. 市販の乾姜は,一度蒸したショウガを乾燥したものである.後世方ではこれを用いたようであるが,著者らは乾生姜を用いている.
とありました。
 また、『漢局の漢方』 清水藤太郎著 南山堂刊 昭和38年8月20日 でも、p.50に
ショーキョー ZINGIBER 生姜〔基〕 各地に栽培するショーガ科の多年草,ショーガZingiber officinaleの生の根茎.生のフルネ(ヒネショーガ)である.「姜汁」は生姜のしぼり汁である。
p.89に
カンキョー ZINGIVER SICCATUM 乾姜 乾生姜〔基〕 各地に栽培するショーガ科の多年草,ショーガZingiber officinaleの根茎のコルク皮を去り,石灰汁につけて乾かしたもの.日本薬局方の「ショーキョー」に相当する.ヒネショーガのコルク皮を去り,熱湯に入れて後乾かしたものを「三河干姜」又は「黒姜」と称する.
とあり、日本でも昔は、生のショウガを生姜、日局ショウキョウを乾姜と呼んでいた場合もあるようです。

 山田光胤先生と言えば、大塚敬節先生の流れを汲む日本漢方の第一人者と思いますので、なぜこれが本流にならなかったのかが不思議です。
 清水藤太郎先生も、局方の制定に関わっていらっしゃると思うので、日局ショウキョウが漢方の生姜と異なってしまったのか、不思議な気もします。

 ただ、山田光胤先生が、「市販の乾姜は云々」と書かれているので、当時から村田先生のおっしゃる「煨姜もどき」が乾姜として主流だったように思われます。なぜ、日本の乾姜が「煨姜もどき」になってしまったのかは不明ですが、もともと日本漢方でも、乾燥したショウガを乾姜としていた流れもあったということをお知らせしたかった次第です。まとまりの無い文章で申し訳ございません。

飛んでるとんでる
飛んでるとんでる posted by (C)ヒゲジジイ

お返事メール:おたよりありがとうございます。

 山田光胤先生の『漢方処方応用の実際』は、三十数年前の古方派時代に熱心に愛読した時代もありました。
 生姜を乾燥させたものが乾姜であるから、わざわざ蒸して製造するなど不要な小細工であることはあまりにも常識的なことだと思います。

 その常識論を山田先生が書かれていたことは覚えていませんでしたが、山田先生のお考えが日本の漢方製剤に踏襲されなかったことはとても不幸なことだと思います。

 ところで白朮と蒼朮の問題ですが、白朮を蒼朮で代用してよいとされたのは山田光胤先生の岳父であられる故大塚敬節先生であったと言われますから、やはり方剤を構成する薬味の選定においては、日本古方派の限界があったのではないかと思われてなりません。

 白朮を蒼朮で代用する杜撰 にも書いています通り、玉屏風散中の白朮を蒼朮で代用しようものなら、方意を台無しにしてしまうことは、誰が見ても明らかなことでしょう。

 日本古方派は、日本の漢方復興に大いなる貢献があったことを認めるに吝かではありませんが、漢方医学発展における重要な中継地点であったと考えるべきで、いつまでも日本古方派に固執していては進歩はないものと考えています。

 ともあれ、マンネリ化しているブログの活性化にご協力頂き、ありがとうございました。

ツバメ
ツバメ posted by (C)ヒゲジジイ

posted by ヒゲジジイ at 22:26| 山口 ☔| 日本漢方の情けない現状と限界 | 更新情報をチェックする

2009年08月04日

いまだに理解に困しむ日本漢方における実証と虚実中間証

今朝もひどい曇天の中でツバメ
今朝もひどい曇天の中でツバメ posted by (C)ヒゲジジイ

 いまだに日本漢方が蔓延する世間では、大柴胡湯は実証タイプに適応し云々とされ、加味逍遥散は虚実中間証などとされる。

 まだしもかろうじて虚証の概念は理解できるにしても、実証は「体力が充実して・・・」っと来る。

 体力が充実していたら病気などになるものかっ!
 馬鹿も休みヤスイ言えっ・・と云いたくなる。

 挙句の果ては虚実中間証などとまったく意味不明な概念が出て来る。意味するものは体力中等度ということらしいが、体力中等度とはどのような基準をもって測定できるのか????

 なにをもって体力測定がはかれるのか? 
 あの学生時代、一学期早々に行われる体力測定をしなければならないのだろうか???

 国立大学医学部出身の先生方までが、真面目腐って虚実中間証とか、実証タイプで・・・などと仰るのを聞くにつけ、思わず噴き出してしまうヒゲジジイはやっぱりイカレテイルのだろうかっ(苦笑。

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IMGP6721 posted by (C)ヒゲジジイ

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IMGP6724 posted by (C)ヒゲジジイ


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2009年04月30日

日本漢方における虚実論の非科学性について

 前回の続き

折り返し頂いたメール少ない情報にも関らずご丁寧なお返事誠にありがとうございます。

 白虎加人参湯は酒さ様皮膚炎に汎用される漢方であるという点と口渇や皮膚炎といった教科書的な適応から選択し、使用していました。

 黄連解毒湯は抗炎症効果を期待しての一過性の使用にとどめようと服用しておりました。しかし舌先は特に赤くありませんし、そもそも実熱証というより中間証から虚証に近い体質と自覚しているのですが・・・適してないのかもしれません。

 手鏡で舌を観察するに舌根部にかすかに緑色様の色調変化を認めておりますが、昔からお茶や麦茶をよく飲むので茶渋の付着と思っており、黄膩苔といえるかどうかはっきりしません(含嗽やブラッシングで消失します)。

 また以前みられました歯痕はほぼ消失しておりましたが、やはり舌縁以外はやや白っぽく乾燥しています。参考になればと見にくいかと思いますが写真を添付いたしました。

 一度お伺いすべきとは思うのですが・・・ご無礼を承知で再度ご意見お聞かせ頂ければ幸いです。

君の名は?
君の名は? posted by (C)ヒゲジジイ

御返事メール:
舌先が真っ赤でなければ黄連解毒湯証はほとんどあり得ないと思います。

 ところで、その前に虚実論の問題ですが、日本漢方で広く行われる虚実論は、実に非科学的でほとんど意味をなさないと思います。

 一般論で言っても、虚実挟雑状態であるのが生命体の特徴であり、虚と実の比率が異なるだけであり、漠然とした虚証や実証、ましてや虚実中間証という用語そのものが言語矛盾であると思います。

専門用語が未熟な日本漢方

 舌のお写真を拝見しますと、紫色がかって見えますが、実際に紫がかっていれば瘀血(オケツ)の存在は明らかと思われます。

 また、とても重要なことですが、舌の苔は、含嗽はよいとしても、もしも常々ブラッシングされておられれば、正確な舌証を分析することは不可能となります。舌証を見分けるにはブラッシングは絶対にご法度です。
 しばしば苔を無理にブラッシングで取っている人では、実際には苔が多くて湿邪が蔓延しているのに、誤って滋潤作用の生薬を主体に考えて大間違いするケースもあり得ます。

 ともあれ、想像したよりも苔が少なく思いますが、薄っすらと白い苔がかかっているのでしょうか?(薄っすらとかかっている様に思われますが???)
 舌の縦ヒビの深さを考えると腎陰虚の存在を疑いたくなりますが、真冬でも足の裏だけは温かく、あるいはご家庭では冬でも裸足ということはないのでしょうか?

 頂いた舌のお写真から、敢えて処方を考えるとしたら、ツムラ漢方で使用できる範囲では、加味逍遥散プラス猪苓湯に六味丸の三者の併用です。

 但し、ツムラの加味逍遥散は間違った配合で、白朮(ビャクジュツ)であるべきところを、安価な蒼朮(ソウジュツ)で代用されています。処方としては失格です。

 もしも常々、舌をブラッシングして苔を除去されているとしたら、以上の解釈はまったくアテになりません(涙。
 写真で拝見する限りは、自然の状態にしていれば舌の奥に薄っすらと黄色い苔がかかって来るのでは?というイメージがしてなりません。その場合は、茵蔯蒿湯(インチンコウトウ)となります。

 頬のお写真を拝見する限りでは、写真のためか、それほど重症には思えませんが・・・

 以上、取り急ぎお返事まで。

シラン(紫蘭)
シラン(紫蘭) posted by (C)ヒゲジジイ



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2009年01月21日

アトピー性皮膚炎に朝鮮人参配合方剤の乱用

 アトピー性皮膚炎で来られる人達のほとんどは、すでに漢方薬の服用経験者である。
 ステロイド漬けと同時に漢方薬を連用中にも関わらず、途中から増悪の一途を辿ってそのピークに達しようとする頃になって、堪らず当方を訪れる人が多い。

 燃え盛る火消し役を引き受けるのも難儀なものであるが、その火を盛んにさせた元凶は、多くは配合方剤中の朝鮮人参や川芎(センキュウ)などであろうと疑わせる問題が多い。

 脾虚や冷えが原因とばかりに、六君子湯や真武湯、あるいは当帰芍薬散などが投与されていたのを見て唖然とさせられることも多いが、つくづく漢方薬の難しさに思い至るのである。

 また最近、当方の漢方薬で寛解中の漢方処方内容を批判して、六君子湯に変更するようにアドバイスした中医学の指導者?の話が伝わってきた。さらには脾虚体質者が六味丸を服用するのは間違いだと批判したというから恐れ入る。
 それでは脾虚があっても腎陰虚が伴っている場合には、どうしろというのだろうか?

 六味丸中にでさえ、脾虚にも対処できる山薬や茯苓が配合されている。

 このような学問レベルの人が、公然と中医学を指導して回っているのだから、日本の漢方レベルは地に落ちたものである。

 日本人の悪い癖で、何を嫉妬しているのか、直接本人には言えない癖に、裏に回って中医漢方薬学派をコソコソと批判している人物である。
posted by ヒゲジジイ at 23:35| 山口 ☔| 日本漢方の情けない現状と限界 | 更新情報をチェックする

2008年07月07日

日本漢方にも中医学理論を導入しなければ将来は暗い

おたより: 関東の内科医師

 大建中湯ですか? これも結構出されてますよね…
 老人のお腹の痛みには大建中湯とか?(笑
 人参、乾姜、山椒ですから…冷えによる痛みが大建中湯かな?

 桂枝加芍薬湯は、腸の熱が原因の痛みかな?
 自分には…芍薬が腸の熱を取る感覚あるんですよね…。
 実際に芍薬だけ煎じて飲んでみたらどうなるかを経験するとよく分かりますね(笑。

 これからすれば…両者反対の処方?(^_^)
 同じなのは「お腹の痛み」かな?(笑

 自分なら…腸の痛みをどう考えるかと言えば、
「腸の痛みは気の流通の途絶と深い関わりがある」と感じています。

 お腹の後ろの背骨(腰椎)両脇の筋の張り具合を確かめ…緊張している所をほぐします。結果…気の流通が良くなり腹痛がなくなります。(^_^)v

 麻痺性イレウスなども気の停滞しているポイントに正確に鍼を打つと2〜3日もすれば治ります。鍼灸師の先生も、この村田先生のブログをごらんになっているとのこと…すでに、お分かりではないかと思います。

 自分の場合、麻痺性イレウスの患者さんの時などは、看護婦に口止めして…内緒で鍼を打ってテープで止めて2〜3日放ったらかします(笑。点滴はしますけど…。 結果…治ります!
v(^_^)v プロスタルモンは余り効きませんね〜(笑。

 治った後から一般的な漢方薬で調整するとVeryGood!ではないか?と感じています。
 もちろん…開気丸や胃神我述錠などを使えば、処方内容から考えて展開は異なると思いますが…。

GOOD NIGHT! (-。_)。。o〇


お返事メール:貴重なご意見、毎度ありがとうございます(笑・

 ただ、桂枝加芍薬湯の考え方については、些か異論があり、芍薬は確かに寒性の生薬ですが、桂枝加芍薬湯ともなれば、やはり芍薬と甘草以外は温性の生薬ばかりで構成されており、とりわけ日本で使用される桂枝は桂枝にあらずして桂皮ですから辛甘大熱であるがゆえに、桂枝加芍薬湯の性質は温性に偏るものと思います。

 大建中湯における問題点は、大建中湯エキス製剤による副作用⇒痒みを訴える患者さん続出 にも書いてみたのですが、やはり昨今、術後の癒着予防に適応者でない人にまで無作為に投与されることに大きな問題があるように思われます。
 と同時に、やはり日本で使用される「乾姜」が曲者だと睨んでいます(苦笑。

 漢方入門当初の日本漢方の時代から、術後のひどい癒着症状には大建中湯や小建中湯あるいは桂枝加芍薬湯や柴胡桂枝湯などを繁用して随分著効を得た経験をして来ましたが、軽症の人達に大建中湯の適応者はあまりいなかったと思います。

 ところが、昨今は温暖化と栄養過剰の時代に、予防的措置として重症用の大建中湯が乱用されていること自体に問題があるのではないかと勘ぐっているところです。

 ところで鍼灸も素晴らしいことと存じますが、地元では鍼灸でも治せなかった坐骨神経痛の重症者まで漢方内服薬で救ってきた経験が多いだけに、どうしても手前味噌的に考えてしまいます(唯我独尊だと嘲笑されそうですが・・・)。

 先生の長年培われたユニークな考察に、是非とも中医学理論をもっともっと注入されればっと常々期待しているところです。
posted by ヒゲジジイ at 12:10| 山口 ☁| 日本漢方の情けない現状と限界 | 更新情報をチェックする

2008年07月01日

医師による肺熱の診断法

おたより:関東地方の内科医師

 ご丁寧に私の愚問にお答え頂き感謝しております。

>肺熱の触診による診断方法

 日本には腹診がありますが、胸部の触診まで詳しく触れていないものですから…
 後は自分の感想ということになってしまいます。

 自分の場合は始めに背部から観察します。
 これは長年お付き合い下さいました鍼灸師の先生が背部から観察することを勧めておりましたので、自分も患者さんの背部からの観察することを最初にすることにしています。

 背部からの観察が終わり、次に前部からの観察と言う感じになります。最初は触らないで大雑把な気の流れや停滞感を掴み、次に触診をして、問題の部分の温熱を調べたり筋肉の緊張度を調べることになります。
 この様な診察から、その患者さんの体に必要な薬草をピックアップします。

 これは自分だけの診察方法で他の人には役立ちませんね。ただ自分なりの診察の方法を確立していくことも必要なのではないか?と思います。
 漢方診察も、色々なマニュアルが出回っていますが…それは例として覚えておいて、最後は自分が患者さんの体から感じるものを如何に系統付けて行くかということなのではないかと思いますよね。
 偉そうなことは言えませんが…女性を口説くときも、マニュアルは使えませんよねぇ〜(笑

 次に脈診や舌診で、体の力の強さや病気の位置、また血の充血度などを再検討したりもします。
 ただ…何回も漢方薬を使っている方ならば…全身を大雑把に把握することで、大体の処方は決まるような気がします。

 診察において、一番大切なのは自分が如何に多くの処方を頭にイメージ出来ているか?ということなのではないかと思います。
 処方の構成を頭に描けていないと、診察したものを処方にフィードバックすることが出来ません。
 ここいら辺は漢方薬を使う方であれば、きっと死ぬまで努力して行かなくてはならない所だと思いますよね。
 これは医師でも薬剤師でも同じだと思います。もちろん自分はまだまだ未熟です。

 ちなみに肺熱と言われる症状があれば…胸部に一定の気の停滞感が感じられます。逆に葛根湯の場合は腹部の気の停滞感が主になってくることから、葛根湯は肺熱の処方ではないということが分かります。
 これはすべて自分の感覚的なものなので…残念ながら他の方の役には立たないかも知れません。

 こんなことから自分には葛根湯には肺熱には禁忌という感覚を持っていますが、きっと村田先生の場合は多くの処方の構成を頭にイメージ出来ていることが強みになっていると思いますね。
 患者さんの体を頭にイメージして、そのイメージに近い漢方薬を処方するという一連の流れが、漢方処方には必要だと感じます。

 どんな分野でも同じですが…漢方も努力が必要な様ですね。
 経営相談より努力ですよね、村田先生!(笑。

GOOD NIGHT! (-。_)。。o〇


お返事メール:とても有意義なご教示、ありがとうございます。

 女性を口説くときにマニュアルは使えない、ということには全く同意ですっ!
 書籍や他者の経験談などは重要な参考資料であることは当然としても、結局は最終的に、自分なりの理論とイメージをしっかり構築しないことには血となり肉とはならないように思います。
ラベル:肺熱 日本漢方
posted by ヒゲジジイ at 01:32| 山口 ☁| 日本漢方の情けない現状と限界 | 更新情報をチェックする

2008年06月29日

病人さん自身の「体感」を重視する中医漢方薬学

おたより:関東地方の内科医師

葛根湯と肺熱の関係を見抜く力に脱帽です!
 おそらく肺熱の患者さんに葛根湯を使用すれば確実に悪化しまね。
 また体の内部を中心とした処方をしていれば…表裏を司る処方である葛根湯の出番もあるのだと感じます。
 また麦門冬のご指摘も素晴らしいです…自分が使った感覚では先生のご指摘の通りだと思います。

 先生のことは凄いな〜と思っていますが…
 ただ…「体を触らないでよく分かるな…」と感心しております。
 こんな感覚を持つ自分は、まだまだ若輩者という証なんでしょうけど…。
 もしご気分を害されたらお許し下さい。

 次に温病の問題に移ります。
 なんか…少陽がかんでいる太陽の様な感覚があります。この病態に太陽病の処方をすれば…少陽がに引っかかりながらも再度太陽病が出てくる可能性があると感じます。

 ただ傷寒論の処方で行くと何度か処方を変えないといけないので…煩雑さは避けられません。このようなことからすれば…温病として扱うことも必要なのかも知れないと感じております。これはあくまで現段階での感想です。

 次回薬草を購入するときは温病に必要な薬草なども揃えてみたいと考えています。


御返事メール: 老体には応える土曜日の仕事がようやく終わりました。月末ゆえ薬局店頭のみならず、電話やメールでも補充注文が殺到して閉店後も送り状発行にへとへとです。

 薄利多売の漢方薬局ですから、安さと綿密な弁証論治が売り物ですっ!と宣伝を兼ねて・・・(ヒヒヒっ笑
 ネットでいくら安売りされても、それを上回る値下げでなんのそのっ!です。

 お返事がこの時間まで遅れたのは、以上の事情によります。まだ虫の息です。牛黄や麝香を服用しても回復が遅れています。

 麦門冬の話は拙著「求道と創造の漢方」にある柴朴湯加麦門冬のことだと思いますが、柴朴湯の強い燥性は、しばしば肺陰を損傷します。それゆえ、柴朴湯証があってもしばしば効果が不徹底です。麦門冬一味を加えるだけで即効というケースは日常茶飯事です。

 利水剤を投与しても利水がまったくかからないときには、腎陰虧損を見逃していることが多いので、利水剤に六味丸系列の方剤を加えることで一気に利水がかかることも珍しくありません。

 補気建中湯の場合は、腹水や胸水に有効ですが、この場合は肺陰虧損をサポートする麦門冬が重要な働きをしているように思われます。

> ただ…「体を触らないでよく分かるな…」

ということですが、仰るとおり薬剤師は医師のような診療行為である触診などはできませんが、適切な医薬品を提供する義務として、その人の病状に適した薬をアドバイスして、効果のある漢方薬を販売しないことには仕事になりません。
 日本漢方なら腹診を重視するから医師でなければ不利だと思われるでしょうが、中医学では舌と脈が主体で、舌を見るだけなら触診にあたりません。

 それよりも何よりも、中医漢方薬学の基本は、病気で苦しむご本人の具体的な「体感」こそ重要な弁証論治の材料です。根掘り葉掘りとこちらが納得いくまで、あらゆる方向から質問攻めにすれば、あらゆる重要な情報はたやすく得られるものです。

 肺熱や胸部の痰熱を確認するくらい、いとも容易いものです。
「胸を冷やしたくなることはありませんかっ? 咳の発生源はどこですか? 咽喉ですか? それとも胸ですか?」
 
 村田漢方堂薬局に御相談に来られる人たちの病状は、西洋医学のお医者様や保険漢方専門のお医者様が治療しても治らない人たちですから、一定の症状が明らかに持続しています。
 観察力がある真剣・真面目な患者さんなら、上記のような質問に「はい、いつも胸が熱く感じます。胸のこの位置からムズムズっと咳き込みます」とすかさず答えられます。
 要するに村田漢方堂薬局では質問攻めです。

 ところでこの肺熱などの区別は触診などで判明するものでしょうか? 患者さんの体感や舌証を確認なしで、触診だけではむしろ分からないのではないかと思いますが、触診ではどのように診断されるのでしょうか? 是非、ご教示賜りたいものです。

 温病の問題ですが、ご存知の通り、とりわけ呉鞠通著「温病条弁」などは、傷寒論では対処しきれない伝染病などを治療する方法として書かれたもので、しかも傷寒論医学を基礎に発展したものではありますが、異なる弁証体系を構築しています。

 ですから温病は温病理論として傷寒論医学とは別の弁証体系として学習する必要があると思います。
 傷寒論は六経弁証、温病学は三焦弁証や衛気営血弁証など。得るところは大きいと思います。
posted by ヒゲジジイ at 01:08| 山口 🌁| 日本漢方の情けない現状と限界 | 更新情報をチェックする

2008年05月29日

「疾病の本質」を研究するには中医学理論の学習が必須なのだが・・・

おたより: 関東地方の内科医師

突然の質問をお許しください。

 自分は小さいときから漢方薬に接しており、また、医師になった後でも漢方薬の勉強や投与をしてきました関係から「病気に対して他の方とは異なる独特の考え方」を持っています。きっと、その考え方は村田先生の考えと似ていると感じています。

 ところで‥アトピーでも認知症でも、なんの病気でも同じなんですが‥一般の人(医師を含めて)は病気が起きている場所しか見ようとしません

 小児のアトピーなどは「小さいうちは免疫が未熟でアレルギーがおきやすいけど‥体が成長していけば治ることも多いんですよ」とか医者に言われて納得しているのだと思います。薬を飲ませて今だけでも症状が取れれば納得するんですよね。

 今‥自分の勤めている病院の看護士から「子供の舌が茶色に変色して大学の耳鼻科に見てもらったけど検査があまり変化ないから‥近くの耳鼻科にかかっている」とか‥、加えて、その子のことを聞くと「耳から浸出液がでる‥アトピーで皮膚科にいったり‥肺炎で休んでる」などと話します。

 このことからすれば、色々な医師にかかっているようですが‥自分が「かわいそうだろ!」という話をしても耳を傾けません。ハァ〜 

 もう、すでに村田先生にはお分かりの通りの解毒症体質の子です。それも舌が茶色なんですから、かなりの鬱血です。
 話を聞いていて、説得できない自分が情けないです‥。

 そして今日、視床出血の患者さんと少し話しました。ほぼ寝たきりですが‥ある程度の会話は成立します。「ここが悪いんだけど分かる?」との自分の問いに「分かる」と答えるんですね。
 その場所は、頭ではなくて、胴体の一部分です。これも‥自分の気持ちを突き刺す言葉でした。
 患者の言葉に耳を傾けないのは医師を含めた回りの人なんですよね。

 先生、僕は自分の意思を貫く医療をするべきなんでしょうか?

 僕は家族や身の回りの人には、自分が正しいと思う医療をしていますが‥一方で、お金を稼ぐために諦めとも似た医療をしています。
 見捨てている自分は逃げているだけなんでしょうか?

 お答え頂ければ幸いです。


お返事メール:拝復
 六君子湯や大建中湯、抑肝散のようにエビデンス漢方による患者さんの被害に最近、またまた遭遇しました。

 大腸がん手術後の大建中湯エキス剤の投与により、激しい皮膚の掻痒に見舞われています。適応症の区別も付かないエビデンス投与により、一部の患者さんは迷惑しておられます。

 日本の将来の漢方の為を思えば、漢方の本質を理解されて先生のような人達が一人でも多く出てこないことには、日本の漢方はますますエビデンス漢方に堕するばかりです。

 ひるがえって職業として考えれば、確かに信念を辛くぬことは経済的な冒険は免れないと思います。
 西洋医学専門の開業でさえ、身内の内科医の中には少し前まで出身大学近辺の都会での開業を真剣に考えて調査した結果、親の医院があるわけでもないのに、資金的にもかなり困難なことが分かり、方針を変えて、転々とアルバイトの口を何軒も掛け持ちして資金を得る方法に切り替え、開業を無期延期している者もいます。

 でも先生の場合は、一定の地盤もあってのことゆえ、人生は一度しかないのですから、この世界に打ち込む情熱がありやなしや、の問題だと思います。

 自分のことを出すのもなんですが、薬局ながら漢方専門で貫いた若かりし頃(苦笑)、流行る薬局でもないのに、毎月毎月、膨大な書籍代の浪費に家計を常に圧迫して、愚妻には随分苦労をかけてしまいました。
 あれだけの書籍代を投入しなければ、もっと楽な生活が出きていたのに、と思う反面、逆にあれだけの書籍代の浪費があればこそ、漢方を本業として貫けたのだと考えると複雑な心境に陥ります。

 人に教わるのがイヤで、書籍に頼りながら自身の感性を頼りに、西洋医学に見放された人達がいつまでも諦めずに通って下さるのを徳とし、深夜まで寝ずに書籍を調べながら格闘する毎日が続きました。

 その多くの患者さんたちのお陰でいびつな中医漢方薬学などと嘯く老人となり果ててはしまいましたが、ようやく漢方の本質の深いところの一端が少し分かりはじめたような気になっています。

 世の中には、ご存知のように西洋医学では解決不可能な疾患が五万と存在するわけですから、何も背水の陣で挑まなくとも、上記のようなアルバイト先を点々とする医師をヒントに、高額な給料を支給されるアルバイト先を一つ二つ掛け持ちしながら、先生の信念を貫けるクリニックを開設されるべきかと存じます。

 アドバイスの方向が間違っていたらとても恐縮ですが、小生が先生のお立場だったら、信念を曲げた生活は耐えられないですし、また組織に属するのが大嫌いですから、きっとそうするだろうな〜〜〜と思った次第です。


折り返し頂いたメール: ご指摘の通り、開業を模索したいと思います。

 ただ、開業に際しては何か欲しい‥との考えより、一般向けの本と専門向けの本を書きたいと思います。子供の程度かもしれませんが‥傷寒論の理論的な解析を終えており、病気の本体を探ることも可能なレベルになっているのではと自分なりに考えております。
 そんな本が漢方の進歩に一役を担うことが出来れば幸いなのですが‥。

 病気は額に入った絵と同じに思えます。
 絵が変われば‥当然、変わったことがわかります。
 でも‥額縁が変わった時のことを考えていません。
 額縁が変わっても絵が変わったように見えるはずです‥。

 病気を診るときに特に問題なのは後ろのケースです。

 臓器は、その背景臓器とのバランスを取って運動しています。
 ある臓器に症状が現れる場合でも、その臓器自身が根本原因ではなく、背景臓器が変化することによって起きる症状もある‥ということを暗示していると思います。

 もちろん、この考えが慢性病を考える上での重要なポイントになるに違いないと考えますが‥説得できるかどうか?

 でも‥動くことなんですよね。
 出来るだけ模索してみます。

 今日、患者の体を診て思ったことは、下腹部、つまり骨盤内のエネルギーと病態との関連です。骨盤内臓器は一生を通してダイナミックに変化します。女性なら初潮を向かえ、妊娠、閉経‥となり、骨盤内の力によって体が出来、生殖を可能にし、年を取ると骨盤内の力も下がり閉経となり、老いて行きます。

 下腹部に力がない場合は、体に力が入りません。特に、死んで行く方は極端に下腹部の力が落ちて色々な症状をだします。
 その症状は下腹部以外に多く、「額縁と絵の関係」のように、面白い所なのかもしれません。

 漢方薬でも、人参湯などは胸部の痛みが取れる漢方薬でありながら、そのフォーカスされている場所は下腹部が中心です。

 こんなことを書いていると‥矛盾を背負って死ぬよりも、背水の陣で自分が正しいと考えたことをすべきなのでしょうね。やはり‥やるべきですよね。

 づらづらと書いてしまいました。
 本当に感謝しております。

編集後記:惜しむらくはこの先生のお考えは、中医基礎理論を学ばれていれば、中医学的には常識的なことを説明されているに過ぎないことに気づかれていたずである。
 日本漢方の限界から抜け出すには、常々中医学を学ぶことが必須であることをアドバイスしていたのだが・・・。
『素問』咳論に曰く
五臓六腑はみな人をして咳せしむ。独り肺のみにあらざるなり
という条文をあげるまでもなく、関東の医師が述べられる「ある臓器に症状が現れる場合でも、その臓器自身が根本原因ではなく、背景臓器が変化することによって起きる症状もある」のは中医学的には当然のことで、やはり中医学をご存じない日本漢方の先生方の限界を感じざるを得ないのであった。
posted by ヒゲジジイ at 07:53| 山口 ☔| 日本漢方の情けない現状と限界 | 更新情報をチェックする

2008年05月11日

虚証・実証・虚実中間証の錯誤について

 昨日の続きである。
 最近はご自身の病気を治したい一心で勉強熱心な素人さんも多いから、少しは理解しやすい虚実論をここに書いておきたい。

 皆さんの仕入れてくる漢方の知識では、体力が乏しいのが虚証、体力が充実しているのが実証という何ともあやふやな知識を仕入れて、実証用の黄連解毒湯や大柴胡湯、虚実中間用の加味逍遥散、虚証用の六君子湯などという日本漢方の錯誤した知識を得て来られるケースがほとんどである。

 こんないい加減な分類で漢方処方を運用していたら、一定レベル以上の疾患になると滅多なことで治るものではない。
 ここからがとても重要な記載である。

 一人の身体において五臓六腑それぞれに寒熱および虚実に違いがあり、しかもそれは固定的なものではなく、情況によって五臓六腑それぞれの寒熱や虚実は変化するのである。

 だから日本漢方の解説書で特に強調されて書かれているような「体力」によって虚証と実証や虚実中間に振り分けることは、ほとんどナンセンスに近い分類なのである。

 どんな人でも一人の身体で五臓六腑それぞれで美妙に寒熱も虚実も同居しているのだから、体力が無い人でも、配合バランスを考えながら、必要に応じて黄連解毒湯や大柴胡湯などがシバシバ配合されることがあっても当然なのである。

 そもそも「体力のあるのが実証」という考え方そのものが、ほとんど錯誤に違い考え方であることだけは覚えておくといい。
 体力があれば実証用の漢方薬も服用する必要なんてある筈が無いっ!

 たとえばこの仕事を始めて35年間、胆石症発作を繰り返す虚弱体質で体力の無い女性達に随分遭遇して来たが、その多くが大柴胡湯+茵蔯蒿湯(インチンコウトウ)+オルスビーや牛黄製剤で即効を得る機会がしばしばであった。
 また、気力体力の喪失した人たちのストレス性疾患でも、舌先が極端に赤く、イチゴの粒粒のような赤みが顕著な華奢な女性達に随分遭遇して来たが、必要な他の漢方処方とともにバランスを取りながら、黄連解毒湯の適量を併用してもらうことで明らかな改善効果を得ることもシバシバである。

 とりわけ黄連解毒湯などは、各地の漢方専門病院や漢方薬局を歴訪して治らず、当方のところへ辿り着いて判明したことは、いわゆる虚証用の温める方剤ばかりが出されていて、清熱解毒作用のある黄連解毒湯など、その人にとって必須の配合が欠けていたために、いつまでも諸症状に困しんでおられたというケースは枚挙に暇が無いほどである。

 だからといって、黄連解毒湯のような清熱作用のある方剤を単独で乱用すべきではないことは常識で、必ず他の方剤とバランスをとりながら、氷伏(ひょうふく)を起こさせない配慮が必要である。

 それゆえ素人療法は怪我のもとだから、必ず中医学に堪能な専門家と常に相談しながら漢方薬を求めるべきなのである。

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posted by ヒゲジジイ at 10:04| 山口 ☁| 日本漢方の情けない現状と限界 | 更新情報をチェックする

2008年05月10日

体力が無ければ虚証、体力がある人は実証、その中間が虚実中間証と規定する日本漢方の錯誤

 本日たまたま二度目の来局者で、黄連解毒湯製剤を主体にした三種類の配合をお出ししていた人から質問を受けた。

 漢方薬専門の書籍を数冊持っていて、いずれの本にも黄連解毒湯は体力の充実した実証用の方剤と書かれているが、自分のよう虚弱性の体質に大丈夫だろうか?

 黄連解毒湯製剤を規定の半分量で服用頂いており、既に鎮静効果などを感じられ、他薬との配合で他症状にもやや効果が出ている上でのご質問である。

 確かにこの方は、見かけ上は明かに華奢なタイプで日本漢方の虚実論から言えば「虚証」と判断されるのだろう。
 だから既に病院で出されていた六君子湯を代表とする各種虚証用の方剤では効果がなく、虚実中間証用の方剤で一部効果があったのであろう。

 ところで、そもそも体力の充実度で虚実を判断する日本漢方の考え方事体があまりに稚拙で、あいまい過ぎるのである。
 体力が充実しているのが実証なら、実証の人はどうして病気になるのか不思議な理論である。

 こんな幼稚で理屈に合わない錯誤した理論を引っ提げて「WHO東アジア伝統医学用語の標準化」の作業に出席する資格があるのか実に疑わしい。

 虚とは正気の不足を指し、虚証とは正気不足を示す証候である。
 実とは邪気が盛んなことを指し、実証とは邪気が盛んなことを示す証候である。

—『中医学基礎』(1978年:上海科学技術出版社発行)

 これこそが虚実論の本流のはずであるが、日本で出版される多くの一般向け漢方書籍類では、体力で虚実を分類する錯誤をおかすから、華奢なみかけの人には永久に大柴胡湯も黄連解毒湯も使用できないことになる。

 虚実論をもっと詳しく知りたければ、虚証と実証についてがある。
 これは以前、『中医臨床』誌に依頼されてヒゲジジイが翻訳したもの。

 さらにヒゲジジイの血気盛んだった昭和末期に『漢方の臨床』誌に掲載された日本漢方の将来「中医漢方薬学」の提唱 は、当時日本の漢方界を震撼させた記念碑的な拙論だが、その一部を引用しておこう。専門用語が未熟な日本漢方

 「虚実」の問題において、<体力が余っているのが実証><体力が衰えているのが虚証>と表現する漢方の一般向け啓蒙書籍が多い。その実、漢方の専門家個人個人によって様々にニュアンスの異なった解釈がなされているが、やはり結果は大同小異である(文献5)。この実証、虚証の極めて幼稚な解釈は数々の困った現象を生むことになる。

 現代日本漢方の特異な風潮として、体質ばかりでなく方剤においても実証用、虚証用、虚実中間証用などと規定することに熱心な現象が見られるが、これは病人の状態を常に固定的に捉えることを奨励するような間違った観念を植え付けかねないものである。

 一方、<実とは外因、内因を含めた病邪の存在をあらわす概念><虚とは生態の機能面、物質面の不足をあらわす概念>と規定する中医学のありかたにおいては、合理的な病態把握が可能である。「実とは邪気が盛んなこと指し、虚とは正気の不足を指す」のであるが、従って「実証」とは邪気が盛んなために現れる証候であり、「虚証」とは正気不足より現れる証候である。
 現実問題としてとりわけ慢性的な疾患の場合、「虚実挟雑」状態であるのが一般であるが、疾病の過程はある意味では、正気と邪気との相互闘争する過程とも言える。それ故、中医学には「扶正&去邪」の法則がある。この理由から一般的な慢性疾患では「扶正法」、「去邪法」を同時に用いる「攻補兼施」が治療原則となることが多い。

 ところが現代の日本漢方に従っていると、体力の強弱のみで虚実を論じ続けるあまり、病邪(邪気)の存在に対する認識を忘却しかねない奇妙な医学と言わざるを得ない。その奇妙さをカバーするためか、かの徹底した実証主義者であるはずの吉益東洞が提唱した「万病一毒論」という「観念論」を利用して一事を糊塗する以外に、この極めて幼稚と思える漢方医学をどう弁明できるのであろうか?

専門用語が未熟な日本漢方より一部抜粋

posted by ヒゲジジイ at 16:28| 山口 ☔| 日本漢方の情けない現状と限界 | 更新情報をチェックする

2008年04月29日

肩の痛みに足腰を治療される鍼の先生のお話(中医学における整体観の重要性の証明に他ならない)

おたより: 関東地方の内科医師

こんばんは!
 今日は今勤めている病院のレントゲン技師と面白い話をしました。

 「昨日、知り合いの鍼の先生の診察をみてきて面白かった」と…。
 「その先生は、肩の痛みを訴える患者さんに対して肩への直接の治療はしないで、腰とか足とかを治療して患者を帰したんですよね。あんなものなんでしょうかねぇ…」なんて話していました。

 その先生曰く「こんなもんじゃない!」なんて話したとか…。

 やりますね、その先生!

 病気が出現している場所に対して…体は逆の歪みをもってバランスを取ろうとするものですよね。だから、反対の歪みの場所を是正することで病気が治る!ということなんでしょう。直接教えないものなんですね。

 これは漢方にも通じていて、大塚敬節先生が話していた言葉を思い出します。
「江戸の敵を長崎で取る…なんて治療も大切です」とか…。

 あの鍼で有名な横田観風先生も同じようなことを話しているようで…
「体に熱が生じる場合、その反対の寒も同時に生じている」と本に記述しています。

 体はバランスを取って、どうにか生きようとしているんでしょうね。
 体を信じる治療を心がけたいと思いました。


お返事メール: とっても面白いお話、ありがとうございます。

 またまた中医学を持ち出して恐縮ですが、お話の鍼灸の先生の治療方法こそ「整体観(整体観念)」そのものの見事なお手本ですねっ。

 当方のお馴染みさんたちは、数ヶ月もすれば「整体観」の重要性を体感的に認識されるようになり、たとえばアトピー性皮膚炎を治すには、臓腑の調整を主眼におく漢方薬がいかに重要であるかを体感されています。
 
 アトピー性皮膚炎は皮膚病であるという先入観から離れられず、治頭瘡一方や消風散、あるいは十味敗毒湯や当帰飲子などばかりに頼る漢方治療では、あまり治癒率が高まることはないと思います。(ヒゲジジイの薬局では、これらの方剤は消風散以外はアトピーで使用することはここ十五年は皆無となっています。)

 中医学書籍類では、しばしば「頭痛を治すのに、頭部の治療ばかりを考えるのは愚の骨頂だ」というような格言を読まされて来ましたが、まことにもって至言だと思います。
ラベル:整体観 整体観念
posted by ヒゲジジイ at 01:00| 山口 | 日本漢方の情けない現状と限界 | 更新情報をチェックする

2008年04月22日

日本漢方の将来

お久しぶりのおたより: 関東地方の内科医師

>要するに、漢方医学に西洋医学流のエビデンス概念を取り込むことばかりに血道をあげるようでは、日本漢方の将来は暗い。

 その通りですよね。
 一方の西洋医学はどうか?と言えば‥「エビデンス」という観念が病気に通用すると考えているのも不思議なことですね。

 どんな結果を得ても‥病気に対する必要十分条件を備えていない結論では余り意味がないのですが、現代流行の「エビデンス」は「必要十分条件を備えている結論」ではなくて「病気の十分条件だけの結論」が殆どです。

 つまり、研究の根本の考え方が可笑しいのに‥流行している研究方法なんですよね。
 困ったことですよね。権威‥って何なんでしょうね?


お返事メール: おたよりありがとうございます。
 欲張ってサイトスペースとURLを沢山確保してしまい、遊ばせておくのも勿体無いからと新たなサイトを試みたところ、自然にまたまた矛先が困った方向に行ってしまいました。

 ところで、エビデンスや標準治療の足かせのために、西洋医学方面の医師の先生方は随分ご苦労されているとかっ!?
 もしも漢方の分野でも同様なことが進みますと、これが足かせとなって、いよいよ漢方医学の息の根が止められかねません。

 遺言サイトのつもりで、間違いだらけの漢方と漢方薬 というサイトを制作してみましたが、随分嫌味なサイトになってしまいそうです。

 そしてまた、慣れているとはいえ、匿名の非難の嵐が舞い込むかもしれません。
 過去には同業者らしき人達から随分多くの匿名(時には本名の先生もおられましたが)の抗議と非難の手紙をもらっています。いずれブログに掲載してみようかとも考えています。


折り返し頂いたメール:

>遺言サイトのつもり … などと仰らずに最後まで先生の信念を貫いて下さい。
 僕は応援します!

 批判する人がいる…ということは、応援する人もいると言うことの裏返しな訳で、熱烈なファンもいることです。
 気になさらないでご自分の考えを公表して下さいね!

 そういえば…茵蔯蒿湯(インチンコウトウ)がなんとなく分かるような…肝炎の時に瀉血をすると良くなるいう記事を読んだことがあります。血管内の血の濃度が変われば…瀉血と同じかなぁ〜?(笑

 確かに白朮と蒼朮は違いますよね。生姜と乾姜も違いますよね。
 桂枝に関しては、自分は肉桂を使ってしまっていますが…若い細枝の方が確かに木の場所からして発表力が強いと感じますね。今度は細枝を購入して試したいと思います。

 附子に関しては年寄りは別として…使う場面が熱による寒に使ってたりするんでしょうねぇ〜(;^_^A アセアセ…。
 まだまだ…先生のレベルには達しませんが自分も頑張ります!

 遺言なんて仰らずに…いつまでもそのままの先生でいらして下さい!


折り返しヒゲ爺が送ったメール: そろそろ遺言くらいのつもりでいた方がよいと考える年頃です。
 仕事上、様々な男女を観察するに、多くの男性は諦めが早く、女性のような良い意味での執念深さがありません。小生も自分のことになると彼等と同様ですので・・・(苦笑)。

 応援して下さるとのこと、大変嬉しく存じますっ!!!

 以前は小生のストレートな拙論を好んで原稿依頼される会社もあったのですが、次第に商売に差し支えるようになったらしく、代が変わると突然依頼が無くなりました。それで昨今は原稿料が稼げません(苦笑)。

 最近、情報源のお一人として貢献して下さっていた方が、案の定、とてつもない要職に就かれたので、案外日本も徐々に良い方向に変わるきっかけにでもならないかな〜〜〜と淡い希望を抱いています。
posted by ヒゲジジイ at 15:10| 山口 | 日本漢方の情けない現状と限界 | 更新情報をチェックする

2008年04月19日

日本漢方を堕落させた吉益東洞

 先ほど新設サイトに次のような現代日本漢方批判を書いてしまった。ヒゲジジイ自身は典型的な長州人の中でも際立った愛国者として自負するものであるが、それだけに日本漢方が中国の伝統医学の最もエッセンシャルな基本概念を捨て去ってしまった過去と現在に至る過程が歯痒いのである。

 真剣勝負の身体を張った学問的な批判とはいえ、本名でここまでやれる日本人がどこまでいることやら〜〜〜、村八分が好きな日本社会ですからねっ。
日本漢方を堕落させた吉益東洞より引用。
 江戸期の漢方医である吉益東洞は、陰陽五行学説を基礎に発展・発達した中国の伝統医学の最もエッセンシャルな基礎概念=陰陽五行を完全に否定した。
 この本来の中国の伝統医学の最もエッセンシャルな部分を、空論臆説と退けるという自己矛盾を犯したのである。

 陰陽五行を否定した時点で、もはや日本漢方はその自己矛盾の自縄自縛により、没理論の泥沼に埋没する方向へまっしぐらに進んでしまった感がある。

 東洞は「親試実験」という実証主義の旗印を掲げて没理論の方向へ突き進んでしまったわけで、それは現代の医療用漢方における「漢方の科学化」と同類の考えに他ならない。
 現代のこの一見実証主義的な「漢方の科学化」という名目は、単に病名漢方的な西洋医学化にすり替わり、ますます本来の漢方医学の本質を見失いつつある。

 この批判的な見方は、日本国内でも多くの漢方家が指摘する所であるが、それらの声は不思議なことに、ほとんどかき消されて、マスコミにすら取上げられることがない。

 江戸期の吉益東洞の行なった「親試実験」は、それがそのまま現代における「漢方の科学化」ということに重なるものである。
 要するに、漢方医学に西洋医学流のエビデンス概念を取り込むことばかりに血道をあげるようでは、日本漢方の将来は暗い。
posted by ヒゲジジイ at 00:53| 山口 ☀| 日本漢方の情けない現状と限界 | 更新情報をチェックする

2008年02月19日

発展性のない時代錯誤だらけの日本の漢方

 ※生姜と乾姜と煨姜(わいきょう)モドキの錯誤問題。
 
 ※漢防已と清風藤の混同問題。

 ※桂皮と桂枝の錯誤問題。

 ※人参と党参と竹節人参の問題。

 ※蒼朮と白朮の錯誤問題。

 ※浜防風と漢防風の混用問題。

などなど、日本漢方医学における錯誤問題を取り上げれば由々しき問題ばかりだが、平成18年8月6日にも同様な問題を取り上げて書いているので、以下に一部修正して抜粋引用する。↓
 西洋医学に対する東洋医学、中医学や漢方医学における漢方薬の聖典、傷寒論や金匱要略を嚆矢とする膨大な過去の漢方と漢方薬の書籍類。

 なかでも絶対不滅の傷寒論・金匱要略ではあるが、ここ数十年の日本、国民の殆どが当時の王侯貴族以上の豊かな生活をおくっている。
 温暖化現象も凄まじく、冬は暖房設備が充実したこの日本国においては、この時代に応じた漢方医学理論の改変および方剤の改良があってよさそうなものだが、さて?

  各社の漢方製剤は画一的な金太郎飴のような個性のないエキス剤に統一化される動きがないだろうか?
 傷寒論や金匱要略などの原典になるべく忠実に作られたものが最も優れていると思うのは、完全なる錯覚ではないだろうか?
 その時代時代に相応しい匙加減によって漢方製剤も作られて当然だと思うのだが、以前はあれほど各社で個性を競っていた漢方製剤が、どこのメーカーの製剤も金太郎飴のように次第に統一されて行く動きを感じるのは、思い過ごしなのだろうか。

 もしかすると成川一郎著「漢方製剤の偽装」をはじめとする氏の長年の漢方製剤のエキス量に対する疑問の解明作業という優れた業績が、却って思いがけない不幸な出来事を生む結果になっているとしたら?!
 実際の所、各社漢方製剤のエキス濃度の問題よりも、各社が競って傷寒論や金匱要略の原典を変方した豊富なバリエーションで許可されていた優れた漢方製剤の数々が、まるで金太郎飴のように統一化されてしまうことのほうが、遙かに重大問題なのではないだろうか!?

 金太郎飴のような個性のない、なるべく傷寒論や金匱要略などの原典に忠実であろうとする漢方エキス製剤に統一化されようとする動きの方が遙かに重大で、こういう由々しき事態を招来した大きな原因の一つが、成川一郎氏の一連の研究が大いに影響しているであろうことは想像に難くない。

 小生に言わせれば、エキス量の問題などはそれほど重大だとは思われない。(量よりも質の方がはるかに重要だ!!!)
 むしろ、氏の研究の余波を受けたのであろう?原典の方剤を変形した様々な特長を持った漢方製剤が、何度も言うように金太郎飴のように統一化されて行くことの方が、遙かに由々しき問題なのである

 しかも、原典に忠実である筈の中には大きな錯誤が伴ったまま、たとえば半夏瀉心湯や柴胡桂枝乾姜湯、人参湯などの「乾姜」に、我が国この日本国においては、ワザワザ飴色になるまで蒸して加工したワイ姜(わいきょう)モドキを使用して、原典に記載どおりの乾燥生姜を使用しないという重大な錯誤を犯したまま、錯誤を伴った金太郎飴エキス製剤に統一されようとしているのである。
 乾姜に対する錯誤によって、本来の方剤の効果を激減させている事実を知る人は少ない。


 まだまだ挙げればキリがないが、まったく理解しがたい現実が次々に出現するこの漢方界は異様としか言いようがない。

 漢方製剤のエキス濃度の問題如き低次元の議論しかなされず、このような真に由々しき事態には不感症でおられるのも、結局は中医学のような高度な基礎理論に無知なまま、吉益東洞以来の没理論の漢方医学を信奉してやまない怠慢の結果に他ならないだろう。


重要参考文献:間違いだらけの漢方と漢方薬

posted by ヒゲジジイ at 12:44| 山口 ☀| 日本漢方の情けない現状と限界 | 更新情報をチェックする

2007年04月22日

日本漢方の将来「中医漢方薬学」の提唱(平成元年の提言!)

 

 上記サイトを新規オープン。
日本漢方を堕落させた吉益東洞の理論的根拠となる拙論でもある。
posted by ヒゲジジイ at 18:32| 山口 ☔| 日本漢方の情けない現状と限界 | 更新情報をチェックする