2018年11月10日

『野菊の墓』の真実

2009年11月10日のボクチン(5歳)
2009年11月10日のボクチン(5歳) posted by (C)ヒゲジジイ

 ジジイの割には、太宰治の『走れメロス』や伊藤左千夫の『野菊の墓』など、いまだに忘れられない感動モノの名作だと信じるものであるが、いつも気になるのが、『野菊の墓』の真実。

 実際のモデルの女性について、死んだのは彼女ではなく、彼女の嫁いだ先の主人だったという。

 作者と嫁の密会の現場を見た主人が、そのショックからか、縊死したのだといわれるが、本当の話かどうか???

 そのような内容を平成17年、西暦2005年の 日 録 に書いていたことを、突然思い出した!
12月26日(日曜日)「野菊の墓」の不可解

 伊藤左千夫の「野菊の墓」には落涙止まず、作者本人も皆の前で朗読中に大泣きしたことで有名だが、作家の故和田芳恵氏によれば、「事実は小説のような綺麗事にはおわらず、嫁いだ愛人と密会の現場をみた主人が縊死したのであった。」(昭和37年12月発行の新潮社「日本文学全集69 名作集(一)明治篇」付録の月報より

 和田氏の調査が本当かどうか、あらゆる手を尽くして私も調査したのだが????!。まだ、和田氏の報告が真実かどうか、確証は得られていない!
 こんなことが真実だったら、せっかくの名作が、幻滅するばかりである。

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2009年11月10日の茶トラのボクチン(5歳)
2009年11月10日の茶トラのボクチン(5歳) posted by (C)ヒゲジジイ
ラベル:野菊の墓
posted by ヒゲジジイ at 21:51| 山口 ☀| 日本残酷物語 | 更新情報をチェックする