2017年04月19日

輪廻転生から解脱すると、絶対無の世界(究極の死)が待っているはずだが・・・

2009年04月19日の茶トラのボクチン(4歳半)
2009年04月19日の茶トラのボクチン(4歳半) posted by (C)ボクチンの母

 人生は苦の連続というのに、来世で地獄に落ちるなど、生まれ変わりはご免こうむりたいとの願いから、輪廻転生からの解脱を希求して、その願いがかなうと、絶対無の世界(究極の死)が待っている。

 だから、現代社会の多くの人達が信じて疑わない「死後の世界はナッシング」を常識と考える話と何ら変わるところがない。

 だから悟りの世界とまったく同等の境地に達している人達が現代社会には無数に存在していることになる。

 と、これは半分皮肉で言っているつもりだが、それはともかく・・・

【 ブログへ掲載の可否 】:転載応諾(ブログへ転載させて頂く場合があります。)
【 年 代 】:50〜59歳の男性
【 職 業 】:公務員
【 地 域 】:東海地方
【 具体的なご職業 】:図書館勤務
【 おたより 】:
 『2017年04月08日 ヘレン・ケラーさんが、生涯の心の糧としたスウェーデンボルグは』を興味深く読みました。

「ヘレン・ケラーさんが生涯の心の糧としたスウェーデンボルグは」
 スウェーデンボルグのすごいところは、霊界を探訪したり、何千キロ向こうのことを透ししたりしながら、実生活では財務大臣のようなことをやったり、現実社会でも普通人だったことだと思います。 

「当時からインド社会では、輪廻転生は当然の常識であり」
 当時のおしゃか様も輪廻転生は前提にしていたと思います。で、お釈迦様は哲学的な質問に答えなかったことはありますが、「無」とは言ってないですよね。無は、自我や我欲についてです。

 小乗仏教(上座部仏教)、つまりタイの小乗仏教などが、「無」を目的や理想としたのは、教えが曲がったのだと私は思います。絶対無は、釈迦のテイストとは違いますね。学者・学僧のテイストですね。禅や密教も仏教の一部として包含されていますが、これらのもともインドのヨガからきているのだと思います。これらをも包含するとは、仏教は包容力があります。念仏宗なども、もともとの仏教からすれば飛び離れていますが、これも包含していますし。

 で、結論ですが、
 ともあれ、30年近くの間、霊界を自由に行き来して、『天界と地獄』など、その様子を詳しく著述しただけでなく、聖書の真意を詳細に解明した人でもあるスウェーデンボルグ。 そのスウェーデンボルグを心の糧としたヘレン・ケラーさん。蛇足ながら、御釈迦さんは仏教界ではとても偉い人に違いないが、絶対無を求めた小乗仏教(上座部仏教)の世界よりも、その後に発展して大乗仏教が生まれたように、どうみても大乗仏教のほうが、多少は霊界の真実に近い部分があるように、個人的には思っている。
 に賛成です。ご同意いたします。

2011年04月19日の茶トラのボクチン(6歳半)
2011年04月19日の茶トラのボクチン(6歳半) posted by (C)ボクチンの母

お返事メール:


 お便りありがとうございます。

>当時のおしゃか様も輪廻転生は前提にしていたと思います。

 といわれるのは、「当時からインド社会では、輪廻転生は当然の常識」だったのですから、お釈迦さんも当然、例外ではありません。
 そのつもりで書いています。

 その輪廻転生から解脱したお釈迦さんは涅槃(究極の死)に入ることができる境地に到達したのですから、絶対無の世界(究極の死)、ナッシングの通行手形を得たということだと思います。

 その点については、島田裕巳著『人は死んだらどこに行くのか』(青春新書インテリジェンス)に、もっと的確に書かれています。

 ただ、個人的には実際には、お釈迦さんは霊界の上位の光り輝くところでご多忙なことと信じています(苦笑。

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2011年04月19日の茶トラのボクチン(6歳半)
2011年04月19日の茶トラのボクチン(6歳半) posted by (C)ボクチンの母