2016年07月26日

短い余命を宣告しながら抗がん剤を強いる不可解

2010年7月26日の茶トラのボクチン(6歳)
2010年7月26日の茶トラのボクチン(6歳) posted by (C)ボクチンの母

 しばしば短い余命を宣告されながら、抗がん剤を強いられ、激しい副作用に我慢し続けて、結局は予後の宣告通りに亡くなられる人が多過ぎる。

 もしも抗がん剤を拒否すれば、もう病院に来なくてもよいと、診療を拒否するひどい病院も中には存在する。

 いよいよのぎりぎりまで副作用に耐えながらも抗がん剤投与を受け続けて、そのまま亡くなられるというのでは、あまりに残酷。

 抗がん剤によって、副作用に苦しむだけでなく、余計に寿命を縮めさせられている。

 短い余命を宣告せざるを得ないところまで進行しているくらいなら、苦しい抗がん剤を敢えて投与する意味がどこにあるのか解せない。

 高価な抗がん剤で、それでなくとも不安な状況に陥っている患者さんに向かって、「抗がん剤をしなければ、もっと余命が短くなる」とか、あるいは「一緒に頑張りますようね」と甘い言葉をかけながら、実際には患者さんが少しでも楽な体調を維持できる緩和ケアを真剣に考えてあげようともしない。

 連中には良心の呵責というものはないのだろうか?

 すでに無意味どころが有害である状況下であるというのに、高価な抗がん剤を使って荒稼ぎする最後のチャンスと考えているのだろうか?

 あるいは決められたマニュアル通りにしなければ、主治医自身の保身のためにはやむを得ないのだとしたら、きっと内心では激しいジレンマに陥っているに違いない。

 片や、「がん検診100パーセント」が公約だと、鳥越さんは気は確かかっ!? と思わざるを得ない、おめでたい人も都知事に立候補されている。

 だから寄せては返す波の音。

 人間様は、猫よりも劣る救いようのない動物なのである。

 あまりに理不尽なことばかりやっている医療関係者は、いずれは自分の身に降りかかるに違いない。

 膵臓がんで肝臓転移、余命を宣告されながらも、苦しい抗がん剤治療を奨められ、その副作用を少しでも楽にしたいと、漢方薬類によるサポートを受ける許可を主治医に求めたところ、いったんは許可した医師が、次の週には「薬剤師さんがいうには、健康食品ならともかく、漢方薬も医薬品だから使うべきではないというので、やっぱり使わないで欲しい」と前言を翻した。

 必ず副作用を伴う毒薬や劇薬である抗がん剤は、一歩間違えば発がん物質でもあるのだから、却って宿命にしか働かない場合も多々見られるというのに、恐ろしい考えの連中である。

 このように薬剤師の中にも、無知で救いようなない連中も跳梁跋扈しているのだから、いずれは回りまわって、自身にも因果応報の報いが待っていることだろう。

 ところで固形癌に限っての話だろうけど、日本でもアメリカでも、医師自身が癌にかかった場合、自身に抗がん剤を使いますか?というアンケートに対して、ほとんどの医師が、自分には使わないと答えるのだから、実に恐ろしい人達である。

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2010年7月26日の茶トラのボクチン(6歳)
2010年7月26日の茶トラのボクチン(6歳) posted by (C)ボクチンの母

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