2007年06月01日

明治の風邪は葛根湯、平成の風邪は銀翹散製剤--------- 高村光太郎の詩⇒葛根湯

 暖房設備も少なく、昨今のような温暖化現象もなく、食糧事情も格段に悪かった明治時代の風邪には葛根湯がよく効いたのかもしれない。
 しかしながら、平成の御世の如き暖房設備は充実し、飽食の時代が長く続く上に温暖化による異常気象の連続では、傷寒の葛根湯よりも温病の銀翹散製剤(天津感冒片や涼解楽など)こそ主役である。
 例年なら天津感冒片の使用量が減る5月なのに、逆に冬場並み以上に販売量が増えた月だった。

 前口上はこのくらいにして、お隣のブログに先日、高村光太郎の詩「葛根湯」を掲載しておいたので下記にも引用しておく。

    葛根湯    高村光太郎作
        (初出:明治44年「スバル」8月号)
      
かれこれ今日も午(ひる)といふのに
何処とない家(うち)の中(うち)の暗さは眼さめず
格子戸の鈴(りん)は濡れそぼち
衣紋竹はきのふのままにて
窓の外には雨が降る、あちら向いて雨がふる
すげない心持に絶間もなく−−−
町ぢゃちらほら出水のうはさ
狸ばやしのやうなもののひびきが
耳の底をそそつて花やかな昔を語る
膝をくづして
だんまりの
銀杏返しが煎(に)る薬
ふるい、悲しい、そこはかとない雨の香(か)に
壁もなげいて息をつく
何か不思議な
何か未練な湯気の立つ
葛根湯の浮かぬ味