半年前の検査はまったく無意味だったことになる。
吾輩の「年の大きく離れた愛煙家の従兄(国語の高校教師を定年退職後)」もそのうちの1人で、肺がん検診で問題ナシだった半年後に、異常を感じて受けた検査でピンポン玉大の病巣が見つかったのだった。
従兄の場合は手術などで一応、略治したように見えていたが、過剰ともいえる抗癌剤を折々に繰り返すうち、脳梗塞を誘発して、それが原因で亡くなってしまった。
抗癌剤が命取りになる副作用が多々あり得るのはいまや常識のはずである。
世界的なデーターでも、肺癌検診や乳がん検診などは無意味ということを、近藤誠氏が繰り返しデータを添えて訴えていたが、これに関してはまったく同意である。
といっても子宮頸がん検診など、早期発見が可能なものについては、かなり有意義なものも一部にあるかもしれないが・・・。
ともあれ、我が薬局では、これまで悪性腫瘍の漢方サポートを依頼される相談が多かっただけに、様々な西洋医学における検診や検査のみならず患者にとって負担の大きすぎる過剰な治療によって却って寿命を縮める結果を招くなど、様々な問題点を感じることが多々あった中、がん検診自体にもかなり懐疑的な立場であるが、あくまでこれは個人的に長年様々な相談を受けた立場としての感慨である。
50年来の多くの仕事上で感じることであり、愛煙家の吾輩は上記の3例以上の「誤診ともいえる肺がん検診の無意味だった実例」に遭遇した事例によって、とりわけ「肺がん検診」なんて以ての外なのである。
1日の終わりに向かって、上記をブログにアップしたあと、哲学の煙をのんびりとくゆらすことだろう。
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2010年12月21日の茶トラのボクチン(6歳) posted by (C)ボクチンの母
ラベル:がん検診