男女間の差別を無くせというなら、オリンピックでも競技を男女に分けずに戦え、ということになるし、トイレすら共用すべきだとまで、エスカレートし兼ねないだろう。
森会長の発言は、一般論として、事実に即した感想を述べたまでであるのに、女性差別といって、いつまでもマスゴミや国会で、大騒ぎするのは、些か怪訝である。
相変わらず、各テレビ局がこぞって、森会長を総攻撃で右へならえ、極端なまでの日本特有の村八分の精神構造には、恐れ入る。
そもそも、男性というのは、虚勢を張って生きる動物であり、女性の支えがあることで救われている部分が多い、ひ弱な生き物である。
我が本業における卑近な例で言えば、末期癌ともなれば、男性の場合は、女性よりも諦めが早く、中には投げやりになる人もあるくらいだ。
ところが、奥さんや娘さんなどの支えによって、漢方サポートを継続できて、余命宣告の期間よりも遥かに、元気で延命された人が多いばかりか、ほとんど完全寛解と言えるまでに、長年再発を免れている人すら、多くは女性達の支えがあったからこそである。
ところが、女性自身が末期がんだったとしても、ご家族の男性たちの大きな支えで頑張れる人も多い反面、逆に男性たちの反対を押し切ってまで、漢方サポートを求めて継続する気概で、頑張りぬかれるケースもかなり見られるが、男性では、同様なケースは稀である。
もちろん、逆のケースがあるのも事実で、例外のない法則はないのと同様である。
要するに、現実の生活においては、一般的に女性の方が、男性よりも、はるかに生命力があり、性根が座っている。
このような我が薬局で経験した一般的な現実を書けば、逆に「男性差別」ということになるのだろうか?
極めて重要な!参考文献:2020年01月28日 女性たちの反逆が加速する時代、それもやむを得ないだろう
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2011年02月10日の茶トラのボクチン(6歳) posted by (C)ヒゲジジイ
ラベル:差別