2017年06月08日

ウォーレスこそ 「ダーウィン以上にダーウィンらしい」

2009年6月8日の茶トラのボクチン(5歳)
2009年6月8日の茶トラのボクチン(5歳) posted by (C)ボクチンの母

 自然淘汰(自然選択)による進化理論の手柄は、本来、ウォーレスが優先権を有していた。ダーウィンは「種の分岐」に対して未解明だったところへ、人のよいウォーレスが、マレー諸島に滞在中にありながら、ダーウィンに送った論文によって、ようやく謎が解けたのである。

 ウォーレスがマレー諸島に滞在中を奇貨として、自然選択による進化論の優先権を確保した経緯は、『ダーウィンに消された男』という翻訳書に詳しい。

 面白いことに、ダーウィンの『種の起源』を読んでも、意味を把握するのに非常な困難を覚えるが、ウォーレス著の『ダーウィニズム―自然淘汰説の解説とその適用例』を読めば、容易に理解できる。ダーウィニズムという命名もウォーレスであるからして、なおさら、ウォーレスこそ、ダーウィン以上にダーウィンらしいという、なんという皮肉!

 さらに面白いことに、科学者としての厳密さを崩すことがなかった無神論者のウォーレスが、後年、心霊主義を組み込んだ人間進化論を唱え続けた。
 この点は黙殺され続けているのは何とも理解に苦しむところで、もっと追究してしかるべきだろう。

 重要な参考文献としては、ウォーレス著の上記『ダーウィニズム』と共に『心霊と進化と―奇跡と近代スピリチュアリズム』および86歳晩年の著作『生命の世界(原題「The World of Life」1910年発行、日本語訳は「生物の世界」の書名で昭和17年に赤木春之訳で出版されている』などを併せて、虚心坦懐に研究してみる価値があるはずである。

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2009年6月8日の茶トラのボクチン(5歳)
2009年6月8日の茶トラのボクチン(5歳) posted by (C)ボクチンの母