2009年6月5日のボクチン(5歳) posted by (C)ボクチンの母
鈴木大拙著『神秘主義 ーキリスト教と仏教ー』の「輪廻について」の章で語られたことは、
ある禅の老師が「どうすれば渇愛を取り除くことができますか」と問われ、「取り除く必要があるのかな?」と答えた。そして更にこう言い添えた。「渇愛あるがゆえに仏は仏なのじゃ」。これは「仏は渇愛のことじゃ」と言ったに等しい。実際のところ釈尊の生涯全体がこの事実を明らかに示している。「釈尊の生涯全体がこの事実を明らかに示している」と断言される大拙翁に同意できる人は、きっと少ないことだろうが、ヒゲジジイに限っては、さすがに大拙さんだな〜と嬉しくなったことである(笑。
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2009年6月6日の茶トラのボクチン(5歳) posted by (C)ボクチンの母