
2010年04月02日の茶トラのボクチン(5歳半) posted by (C)ヒゲジジイ
中医学は「同病異治」の医学であり、日本の古方派漢方は「異病同治」の医学である。すなわち、中医学は『金匱要略』を発展させたものであり、古方派漢方は『傷寒論』を日本独自の発想で応用・発展させたものである。
以下、陳潮祖先生著『中医病機治法学』の重要な指摘を主体に参考と引用を交えて、簡略に述べたい。
張仲景は『傷寒論』において、外感疾患の伝変法則を検討する形式を取りながら、「臓腑経絡を綱領として病機分析を進める方法」の道を開き、世に知らしめた。
一方、『金匱要略』においては、『傷寒論』と同様に臓腑の生理・病理を根拠としているものの、病の種類別に病機を検討する形式を取っている。
したがって、『金匱要略』においては『傷寒論』では存在しなかった「病名分類」が重要な位置を占めている。
このようにして仲景は『傷寒論』を経とし、『金匱要略』を緯として、二書を縦横に連繋させ、以後の中国伝統医学における道標(みちしるべ)となる模範を示した。
ところが、金元時代からは学科の分科が始まり、それ以後は病名別に病理を探究する方式が中心となり、『金匱要略』を基礎とした「同病異治」の理論研究が主体となったまま現在に至り、そしてそれがそのまま現代中医学の基本的な特徴とさえなった観を呈している。
つまりは「それぞれ異なった病機に同一の症状が出現する」ことに対する治療方法の研究という同病異治の研究が、現在に至っても中心的な研究対象となっている。
現実には「同一の病機においても多種類の症状が出現する」ものであるが、中医学世界では、この「異病同治」に対する明確な概念の追究は明らかに遅れを取っているとは、陳潮祖先生の指摘されるところである。
仲景が示した模範を十分に発展させて来たとは言い難く、一面的な発展方向にあった過去から現在までの状況を打破するには、日本古方派に学ぶべきことが多いのである。
そこで、手前味噌の中医漢方薬学と言いたいところだが、日々の仕事に追われて疲労困憊の日々、学問的な考察と執筆を怠って久しく、来世における研究課題としておきたい(苦笑。
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2012年04月02日の茶トラのボクチン(7歳半) posted by (C)ヒゲジジイ