2015年11月03日

鼻息が荒かった27年前、某大学医学部の教授(東大医学部卒)に対する反論文の反響の思い出

2008年11月03日の茶トラのボクちん(4歳)
2008年11月03日の茶トラのボクちん(4歳) posted by (C)ボクチンの母

 すでに故人となられた某大学医学部の教授(東大医学部の御出身)が、当時、東洞直系の思想を受け継ぐと考えられる氏は徹底した実証主義の立場から「漢方近代化の試み」の一環として、『康治本傷寒論』を原始『傷寒論』として独自の研究を数々展開発表され、「固体病理学」を提唱されておられた。

 漢方薬の作用を現代医学的に理解するうえで大変興味深い部分があったものの、中医学思想や言語に対する非難と排斥文まで専門の月刊誌に発表されるに至って、とうとう若かりし頃のヒゲジジイが大反論を企てた。

 陰陽五行学説を荒唐無稽呼ばわりされ、挙句は中医学そのものを否定される勢いに、氏の権威に気おされて、日本国中の医師や薬剤師が洗脳されては適わないという思いから、大反論文をその専門の月刊誌に発表させてもらった。

 案の定、ヒゲジジイの反論文に対する反論はなしのつぶて。

 ところが、思いがけず、他大学医学部の某教授(同じ東大医学部の御出身)から、ファンレターが送られて来たものだった。
 
 よくぞ書いてくれた、自身も反論文を書こうとしていたが、書きあぐねているところへ、ヒゲジジイの反論文が掲載されて、思わず快哉を叫んだほどであると、諸手を挙げて万歳して下さるが如き、嬉しいお手紙だった。

 同じ東大医学部出身でも、片や陰陽五行学説を荒唐無稽と断じられる東洞流の「観念的実証主義」の先生と、片や陰陽五行学説にもとづく中医学理論こそ必須であると認められる先生と、世の中は同じ学歴でも、こうも違うものかと、感心するやら、呆れるやら。

 それもこれも、今となっては懐かしい27年前の鼻息が荒かった頃の思い出に過ぎない。

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2010年11月03日の茶トラのボクちん(6歳)
2010年11月03日の茶トラのボクちん(6歳) posted by (C)ボクチンの母

2011年11月03日の茶トラのボクちん(7歳)
2011年11月03日の茶トラのボクちん(7歳) posted by (C)ボクチンの母

2011年11月03日の茶トラのボクちん(7歳)
2011年11月03日の茶トラのボクちん(7歳) posted by (C)ボクチンの母

posted by ヒゲジジイ at 20:03| 山口 ☀| 繊細でデリケートなヒゲジジイ | 更新情報をチェックする