2015年03月07日
今生は、ちょうどボクシングでいえば、1ラウンドのわずか3分に過ぎない
2006年03月07日の茶トラのボクチン(1歳) posted by (C)ヒゲジジイ
土曜日だから、ちょっと息抜きに。
といっても頭でっかちの唯物論者には無縁な話しだが、以下は先日あったお話し。
但し、ヒゲジジイ自身は、あらゆる種類の『宗教』とは、まったく無縁な人間であり、どちらかといえば『構造主義科学論者』であると自認しているものである。
この苦しい人生が、ルールのあるボクシングのように3分戦って1分の休憩時間があればよいのに。
どうしても耐えられないときは、タオルを投げてもらって試合を打ち切ることさえできるのに。
実際の人生はそのようなルールがないので、苦しみ抜く一生となってしまう・・・。
と慨嘆される人がいた。
何をおっしゃいますっ! 実人生なんて、ちょうどボクシングの1ラウンド3分に等しいもの。
今生が終われば1分くらいの休憩時間があって、また生まれ変わって次の人生がはじまる。
12ラウンドや以前のように15ラウンドも戦うなんていう人は、まだまだ地球上での勉強が足らない証拠。
お互いに、いつまでも落第していたら、100ラウンド以上も戦わなければならないかもしれない。
前世があって今生があり、また来世がある。
今生では忍耐精進すればしただけ、直ぐにKO勝ちすることもあれば、判定勝ちすることもあり、そうはならない場合でも、あの世で、あるいは来世で必ず報われる。
苦があっても、いずれは必ず報われて、楽が待っている。
努力すれば必ず、いつかは報われるときがやって来る。
そのかわりに楽が続き過ぎると人間は堕落しやすいので、遅かれ早かれ、またもや苦が待っている。
因果応報の法則だから止むを得ない。
といっても、もしも楽ばかりが続いたら、こんなに退屈なこともないだろう(苦笑。
実際のボクシングには階級制度があるけど、実人生では階級制度はなくなっている。
ところが、あの世に帰れば、霊性における階級制度は歴然と存在する。
来世では、類は友を呼ぶ、という現実が待っている。
今生で頑張ってこそのあの世であり、また来世なのだから、お互いに逃げるわけにはゆかないでしょう。
以上は、実際にあった会話をやや誇張・整理してまとめた。
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posted by ヒゲジジイ at 00:00| 山口 ☁| 漢方相談室での談話風景
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