
2008年8月24日のボクチン4歳 posted by (C)ボクチンの母
今日も休み明けとて、中古の頭を酷使するので過酷な1日だった。
午前中は店頭や電話の応対、メールの返信、送り状の発行など四重の仕事を併行してこなしながらも元気もりもりなれど、午後に突入して、ようやく1時半の昼食が摂れる頃には、急にがっくりと疲労が出て来た。
受付嬢は昨日から孫を連れて帰ったからか、やけに元気で頑張っていた。
ともあれ、本日はタイトルのイメージほどには、そんなに堅苦しいことを書きたいのではない(苦笑。
60年以上生きて来ての偶感に過ぎない。
人間様の命は高だが長くても百年未満。
その間にはしばしば理不尽なことにも遭遇するし、逆に悪魔のささやきに乗って理不尽なことを行ってしまう。
要するにお天道様に試されているのだ。
地球上に生まれる人間様というのは(少数の例外を除いて)出来損ないばかりだから、必ず艱難辛苦に遭遇する運命にあり、それにどのように対処するかを試されているのだろう。
世間でもしばしば言われるとおり、因果応報の法則は不思議なほど精密にできているようだ。
すなわち苦労は必ず報われるし、楽があれば必ず苦がやって来るし、苦があれば必ず楽がやって来て、実によくバランスが取れている。
個人的に遭遇した因果応報の事例は、具体的に書くのは些かはばかられるので、やや抽象的に書かざるを得ないが、長い人生ではずいぶん理不尽なめに会ってきたヒゲジジイではあるが、理不尽を働いた連中は遅かれ早かれ何らかの天罰が下っており、これこそが宇宙の法則に違いないと、むしろ厳粛な気持ちにさせられたものである。
命は永遠であり、死とは別次元に移行するに過ぎないことを知っておれば、そしてまた、その別次元こそ本来の故郷であることを知っておれば、今生の艱難辛苦に耐え抜いた後、いずれは素晴らしい来世が待っているというのに、不自由な肉体が邪魔をして思うようにならないのが今生の人生である。
気がついてみれば、このような当然な理屈を現代人は、いわゆる唯物論信者で科学信仰のドグマに陥っているため、死んだらすべては終わるという妄信的な信仰、のゆえに、目先の安楽を追求する余り、却って不幸に陥るいるのだろうと思われる。
昨今、見込みのある若者からご老人まで、ストレートにあの世の仕組みをお話しすることで、機が熟している人たちでは、それを素直に受け取って、多くの難治性疾患などの治癒をかなり促進しているように思われる。
というのも、意外に多くの人たちが実際に心霊的な体験をしているので、素直に受け取ってもらえる素地が備わっていたということらしい。
実に意外なことではあったが、それだけに一部の人達は似非霊能者に騙されて痛い目に遭っている。

2008年8月24日のボクチン4歳 posted by (C)ボクチンの母