2010年04月30日

日本の漢方医学について

撮影者:関東地方の内科医師


おたより:関東地方の内科医師

 ブログの記事を拝見し、時代も変わってきているんだなと思いました。
 新しい東京タワーも350メートルまで高くなりました!

 大塚敬節先生も伝説の人になってしまいましたね。大塚先生とお話された経験を持っている人も、既に少なくなっているのかも知れません。
 自分が大塚先生に治療して頂いた経験からすれば、「とても優しい先生」という思い出が一番です。医者が患者に接するときの心構えを、自分の知らないうちに教えて下さった様な気もします。

 その大塚先生、そして大塚先生の師匠である湯本先生も、病気でお子さんを亡くされています。その大きな悲しみから学校で習った医学を捨てて、漢方の世界に飛び込んだ先生達で、お二人の生き方には感動を覚えます。

 その当時、漢方薬を扱う医者は気違い扱いされる様な時代でしたよね。一般の医者に相手にされない漢方を広めるには「患者さんを治療していくこと」が優先されたのかも知れません。そして、そんな先生達が漢方を現代に伝えていることは間違いない事実だと思います。

 さて、時代も変わり、漢方も一般的になり、多くの人が漢方薬を使うようになってきました。今、漢方に接している人達がすべきことは、次の時代に橋渡しすることなのかも知れません。理論的背景をしっかり考えようとする理系的頭脳の人達も漢方薬を使う時代に移りつつあり、次の段階へと漢方は進歩して行くのでしょう。

 自分も棺桶に入る前に何か書き残さなくては…(汗。(独り言→村田先生も一冊の本にまとめて下さったらなぁ・・・きっと1000ミリの望遠レンズが買えるでしょうねぇ・・・笑)

 そんなことを昼食を食べながら感じました。
 今日の病院の昼食は「ラーメンとチャーハン、ポタージュ、プリン…など」ですね。
 この内容のギャップが病院食らしいなぁ〜とか感じております(笑。

ゴイサギ
ゴイサギ posted by (C)ヒゲジジイ

お返事メール:
貴重なおたよりありがとうございます。
添付いただいたタワーの様子、まるで天と繋がった風情ですねっ!

ところで、ヒゲジジイとて大塚敬節先生は、若かりし頃のアイドルでした。

大塚敬節先生の私淑者としての思い出

 この通りですが、伝統医学というものは「批判的に継承」されてしかるべきものだと思います。

 拙論の これからの「中医漢方薬学」 の後半部分にありますように、
●継承と発揚のために

 よりよい生を求めて、ヘーゲルはカントを、マルクスはヘーゲルを、フランスのデリダやドゥルーズ、ボードリアールなどポスト・モダニストたちはマルクス主義を批判し、ポスト・モダニストたちの思想的源泉はニーチェ思想であり、そのニーチェはカントやヘーゲルを批判し、若い頃に心酔していたショウペンハウエルさえも批判した。

(ニーチェは、西欧の形而上学は神や超越的な真理に逃避する負け犬や弱者の哲学であるとして根本的な批判を加えたことは周知の通りであるが、現代思想における近代最大の思想家とされるにいたっている。ちくま文庫の竹田青嗣著『ニーチェ入門』を参照。)

 このように、その時代における社会的な現実認識の上から、前人の哲学・思想的業績に批判を加えることを通して、ヘーゲルもマルクスもニーチェも、ポスト・モダニストたちも、それ以前の思想や同時代の思想に批判を加えつつ独自の思想を構築してきたのであり、彼らそれぞれの思想は、彼らの暮らした時代の社会的現実の要請から必然的に生まれた業績であるといえるのである。

 批判が加えられたそれ以前の思想あるいは同時代の思想は、たとえその時代に最高の思想と信じられていたものであっても、やがては次の時代の社会的現実の要請にマッチした新たな思想が構築されるための踏台とされる宿命を担っていたのであり、同様に新たな時代の要請で生まれた新思想も、やがては同じ運命を辿る可能性を常に孕んでいる。

 このように、前人の業績は常に踏台として批判が加えられる宿命と必然性を担って推移してきた近代から現代にいたる西洋思想の発展過程は、中医学の今後の継承と発揚の大いなるヒントを提供するものである。

 成都中医薬大学の陳潮祖教授が御高著『中医病機治法学』の中で述べられているように、中医学は「哲学理論と医学理論が結合した科学的原理や法則」であるだけに、時代の現実的な要請に応じた難治性疾患に対するハイレベルな治療効果を求めるなら、すでに公理とされているような原理や法則についての再検討と再確認を行いつつ、時代の要請にマッチした新たな理論や法則の可能性について、純粋中医学の領域内に留まらず、現代西洋医学における病理学・薬理学など、近縁する諸科学を動員して、絶えず追求模索する必要性と必然性が生じるのである。

 ところで、『現代思想を読む辞典』(講談社現代新書)の巻頭に今村仁司氏の次のような文章がある。

 「特権的な思想の『語部(かたりべ)たち』は、一方ではいやがうえにも古典的文献を崇め奉り、他方では現代・同時代の諸思想を上から見下したり、軽侮の念をもって無視したりしてきた。例えば、学者の卵たちが現代的諸思想の研究に志す場合、彼らは先生たちから叱られたものである。教育上、古典の研究から始める方が精神の発展のためにはきわめて生産的であるという理由から教師たちが現代ものに魅かれる弟子たちをいさめるのはまことに正当ではあるが、その限度を越えて現代的な思想はいっさいまかりならぬというに到っては病的というほかはない。この種の病的反応は現在でもいたるところにみられる。現代思想へのアレルギーは、古典崇拝の看板に隠れて自分で思索することを放棄した精神の怠慢を押し隠すことにほかならない。こうした思想状況はそろそろ終りにしなくてはならない。」(傍線部は引用者)

 ここで、傍線部分をすべて「西洋医学」に置き換えてみると面白い。つまり、本場の中国でさえ、日本の漢方界と内容は微妙に異なってはいても、中医学界の新しい世代と伝統を守り続けてきた世代との相克がみられるのである。

 ここで再び面倒なことであるが、今度は引用文の傍線部分をすべて「現代中医学」に置き換えてみて欲しい。このようにすれば、少し前までの日本漢方界の状況がそのまま映し出されるわけである。ところが、現在の中国側から見れば、7年前から村田による「中医漢方薬学」の提唱もむなしく、日本の状況は基礎理論の研究と運用をないがしろにしたまま、現在にいたってもほとんど変化がないままである、と認識されていることは前述の『日本漢方医学』と題された中国書籍の結論部分を引用した通りである。

 哲学・思想界では、その時代の現実的な要請に応じて、常に前人や同時代人の業績が踏台として批判が加えられつつ、同時代にマッチした新たな思想が構築されてきており、その時代の社会的な現実認識の上で必然性があれば、ニーチェ思想のような復活をとげる現象もみられるなどの経緯を観察していると、中医学の将来としての中西医結合の必然性や、日本漢方の「中医漢方薬学」の必然性が動かしがたいものとして見えてくる。

 以上、煩雑になりましたが、すべてはこれにつきると信じるものです(苦笑。

チュウダイサギ
チュウダイサギ posted by (C)ヒゲジジイ

posted by ヒゲジジイ at 21:11| 山口 ☀| 日本漢方の情けない現状と限界 | 更新情報をチェックする