※漢防已と清風藤の混同問題。
※桂皮と桂枝の錯誤問題。
※人参と党参と竹節人参の問題。
※蒼朮と白朮の錯誤問題。
※浜防風と漢防風の混用問題。
などなど、日本漢方医学における錯誤問題を取り上げれば由々しき問題ばかりだが、平成18年8月6日にも同様な問題を取り上げて書いているので、以下に一部修正して抜粋引用する。↓
西洋医学に対する東洋医学、中医学や漢方医学における漢方薬の聖典、傷寒論や金匱要略を嚆矢とする膨大な過去の漢方と漢方薬の書籍類。
なかでも絶対不滅の傷寒論・金匱要略ではあるが、ここ数十年の日本、国民の殆どが当時の王侯貴族以上の豊かな生活をおくっている。
温暖化現象も凄まじく、冬は暖房設備が充実したこの日本国においては、この時代に応じた漢方医学理論の改変および方剤の改良があってよさそうなものだが、さて?
各社の漢方製剤は画一的な金太郎飴のような個性のないエキス剤に統一化される動きがないだろうか?
傷寒論や金匱要略などの原典になるべく忠実に作られたものが最も優れていると思うのは、完全なる錯覚ではないだろうか?
その時代時代に相応しい匙加減によって漢方製剤も作られて当然だと思うのだが、以前はあれほど各社で個性を競っていた漢方製剤が、どこのメーカーの製剤も金太郎飴のように次第に統一されて行く動きを感じるのは、思い過ごしなのだろうか。
もしかすると成川一郎著「漢方製剤の偽装」をはじめとする氏の長年の漢方製剤のエキス量に対する疑問の解明作業という優れた業績が、却って思いがけない不幸な出来事を生む結果になっているとしたら?!
実際の所、各社漢方製剤のエキス濃度の問題よりも、各社が競って傷寒論や金匱要略の原典を変方した豊富なバリエーションで許可されていた優れた漢方製剤の数々が、まるで金太郎飴のように統一化されてしまうことのほうが、遙かに重大問題なのではないだろうか!?
金太郎飴のような個性のない、なるべく傷寒論や金匱要略などの原典に忠実であろうとする漢方エキス製剤に統一化されようとする動きの方が遙かに重大で、こういう由々しき事態を招来した大きな原因の一つが、成川一郎氏の一連の研究が大いに影響しているであろうことは想像に難くない。
小生に言わせれば、エキス量の問題などはそれほど重大だとは思われない。(量よりも質の方がはるかに重要だ!!!)
むしろ、氏の研究の余波を受けたのであろう?原典の方剤を変形した様々な特長を持った漢方製剤が、何度も言うように金太郎飴のように統一化されて行くことの方が、遙かに由々しき問題なのである。
しかも、原典に忠実である筈の中には大きな錯誤が伴ったまま、たとえば半夏瀉心湯や柴胡桂枝乾姜湯、人参湯などの「乾姜」に、我が国この日本国においては、ワザワザ飴色になるまで蒸して加工したワイ姜(わいきょう)モドキを使用して、原典に記載どおりの乾燥生姜を使用しないという重大な錯誤を犯したまま、錯誤を伴った金太郎飴エキス製剤に統一されようとしているのである。
乾姜に対する錯誤によって、本来の方剤の効果を激減させている事実を知る人は少ない。
まだまだ挙げればキリがないが、まったく理解しがたい現実が次々に出現するこの漢方界は異様としか言いようがない。
漢方製剤のエキス濃度の問題如き低次元の議論しかなされず、このような真に由々しき事態には不感症でおられるのも、結局は中医学のような高度な基礎理論に無知なまま、吉益東洞以来の没理論の漢方医学を信奉してやまない怠慢の結果に他ならないだろう。
重要参考文献:間違いだらけの漢方と漢方薬