昨日の続き
折り返し頂いたメール: 血管系統および血液循環ということでは、心・肺・肝・腎・脾の五つの臓による協調の結果であるということは大変興味深いことです。
もっとも以前読んだ中医学の書籍のなかに記述がなされていたことをふと思いおこしました。いかに書籍の理解が自分のものになっていないかが分かりました(苦笑)。
そうしますと、西洋医学的な他の臓器あるいはその臓器系の働きを理解するうえで、同じようなことが当てはまるのでしょうか。ひょっとすると成書に記述されているのかもしれませんが。
なお、全く関係ないことで恐縮です。本日の夜、横浜は熱くなっていることだと思いますが、ちょっと遠くて参加できません。TVでの観戦になります。
ヒゲジジイのお返事メール:中医学的な臓腑概念を西洋医学的な概念に当て嵌めることは、かなり無理があると思います。過去、西洋医学の解剖学的な臓器の命名に東洋医学の五臓六腑の名前を転用されたことが大きな誤解の元だと思います。
また、中医学における五臓とは単に解剖学的な臓器そのものをいうのではなく、構造と機能を系統的に分類する考え方が大いに反映されており、同一系統における内在関係を重視するとともに、各系統間の密接な関係も重視したもので、人体を有機的な統一体としてとらえる「整体観(整体観念)」に貫かれております。
(追記:この整体観(整体観念)こそ構造主義科学)
ともあれ、今回頂いた先生のお便りがきっかけで、以前、中医学における解剖学的な分析を模索していた時代を思い出しました。
少陽三焦の組織構造私見(実体が無いと言われる少陽三焦の組織構造モデル!)
これは少陽三焦の組織構造私見ですが、この中に書いていますように、
あらゆる臓腑や経絡・諸器官(気管・血管・卵管・尿管など)の実質は、膜が円形に管道を形成した無数の集合体である筋膜で構成され、精気血津液という五種の基礎物質が運行出入する通路となっている。つまり、筋膜組織内の管道中を営血が流通し、管道外の間隙を津気が流通するのである。とありますように、愚見では臓腑や経絡・諸器官(気管・血管・卵管・尿管など)の実質は、すべて肝に属する筋膜組織で構成されているという考え方をしております。
但し、前回のメールで追伸の前に記しましたような「筋肉を覆う膜原は確かに肝ではあっても、筋肉自体は中医学的には脾に属します」という一般論を敷衍して、臓腑も経絡も諸器官(気管・血管・卵管・尿管など)にも、当て嵌めても、問題はないように思います。
すなわち、臓腑も経絡も諸器官も実質は脾に属し、それらはすべて肝に属する膜原に覆われているという考えです。
このようなかなり得て勝手な妄想を巡らせるにせよ、中医学を学ぶには個人個人にとって理解しやすいオリジナルなイメージを作り上げて学習した方が、理解しやすい場合が多いように思います。
このことはまた解剖学的な実証科学とは異なる構造主義科学としての中医学の大きな特徴でありかつ特長ではないかと思っています。
今夜は、まぐれでもよいから勝って欲しいものです。小生もTV観戦です。