2007年12月06日

故大塚敬節先生の診療を受け、故矢数道明先生のご薫陶を受けられた先生からのお便り

性別 : 男性
年齢 : 40歳〜49歳
簡単なご住所 : 関東地方
具体的な御職業 : 内科医
お問い合わせ内容 : はじめまして、◎◎で内科勤務医をしております●●と申します。

 本日、漢方書を探しに神保町を散策して村田先生の本(求道と創造の漢方)を見つけて買ってまいりました。
 他の著作の方の本と比較して、真っ直ぐに漢方のことを書かれていらっしゃるのに好感を抱きました。
 村田先生のことは前にホームページを見ておりましたので…本に書かれてありました住所の下関という地名から先生の顔写真も浮かびました。

 私の漢方の経歴はたいしたことありませんがお話致します。中学から高校にかけて体を壊し大塚敬節先生に診ていただいていました。とても優しい先生でした。
 医学部に進んでからは北里研究所のセミナーなどに参加しておりました。
 そして卒業してから…半年位の間、矢数先生の所で外来見学もさせていただきました。

 基本的に内科勤務医としての道で病院で漢方薬を使うことを許されなかったことから、病院では一般的な診療をし、自宅には150種類程度の薬草を置き家族や知人を漢方薬で治療しておりました。
 自分が開業する時になったら…漢方薬を併用して患者さんを治したいと思っております(開業は近いかもしれません…)。東洋医学会には15年ばかり入っていますが…忙しくて専門医も取らないで今に至っています。

 自分が一番興味を持つのが「病気とは何か?」ということです。医学部での授業も「病気の定義」なしに授業が進んでいきます。分からない点を調べようと教科書を読み、それでも分からなければ論文も読んで…最後にたどり着くところは、いつも「?」です。

 すなわち病気が分からずに病気を診ているのが今の医学ではないかと思います。「日本漢方を中国漢方に取り入れたい」という村田先生のお気持ちは先生のお立場からすれば、至極当然のことだと思います。

 一方、内科医としての自分の夢は「東洋医学と西洋医学を一つの医学にしたい」と思っています。偉そうなことは言えませんが、この作業に「傷寒論」が役立つ可能性が大きいと感じております。

 日本の漢方では「傷寒論」に理論的な考察を入れず、経験を重ねることによって漢方を使う医師を育ててきました。徒弟制度が一般的だった、かつての日本文化なら十分に可能な医療教育だったのかもしれません。でも、これでは漢方が説明不可能な芸術的な学問になってしまいます。

 しかしながら「傷寒論」の構成は理論的で病気の設計図を漢文で綴っている様に感じてなりません。また基本哲学は陰陽と三陰三陽だけで至極簡単です。それならば…「傷寒論」に書かれている病気の姿を理論化することが可能で、その理論的な病気の姿を参考にすれば西洋医学でも「傷寒論」を病気研究に役立てることが出来るように感じます。

 自分が尊敬する先生方は、すでに亡くなってしまわれており…今日、自分が選んだ本を書いた先生が生きていらして自分の意見を話すことが出来ることに一人感激して、ぶしつけな文面をお送りしてしまいました。すみませんでした。
 明日は村田先生の本を楽しみながら読んでみたいと思います。先生の今後の発展を陰ながらお祈りしております。


お返事メール:拝復
 お便りありがとうございます。また、拙著を入手された由、なんだかとても恥ずかしい思いです。中医学理論の必要性に目覚めかける手前の思い出深いものではあるのですが、まだまだ没理論的な日本漢方の「術としての漢方」の修業時代だったように思います。

 当時から関東とは遠く離れていても、しばしば矢数道明先生や藤平健先生ら大御所からお励ましのお便りを頂き、中医学にどんどん傾斜して行った頃にも、直接お会いする機会がなかったにもかかわらず、温かく見守って下さる旨のお便りを頂いたものでした。追記:33年前、福岡で開催された東洋医学会の会場エレベータ内で偶然、大塚敬節先生と矢数道明先生と乗り合わせ、大塚先生がしきりに小生の顔を見つめながら「橋本行生君はどうしたのかなあ。来ているのだろうかなあ」と、矢数先生に向かって呟いておられたことが今も鮮明に覚えていて、忘れられないとても懐かしい思い出がある。

 ついには強烈な日本漢方批判を主体にした拙論、
日本漢方の将来「中医漢方薬学」の提唱(平成元年の提言!) ⇒ 日本漢方の将来「中医漢方薬学」の提唱 村田恭介著  を発表した当時にも、各地方の古方派の先生方から激しい批判が聞こえてくる中、矢数道明先生は、御みずから『漢方の臨床』誌上で、印象に残った二つの論説の内の一つとして、とても好意的に述べて下さったことを今でも大変光栄なことと思っています。

 日本では消滅しかけていた漢方医学を昭和の時代に大きく復興された大塚敬節先生や矢数道明先生の学恩を裏切るような拙論にも、大家の懐の深さをつくづく感じ入った次第でした。

 ●●先生からお便りを頂きまして、その当時、大塚先生の御著作には人一倍のめり込んで、私淑者として追悼文集の末席に置いて頂いた立場でありながら、あの拙論を発表することによって「裏切り者の烙印を押される決死の覚悟」で認めた当時を思い出してしまいました。

 先生も漢方医学を大御所にご指導を受けられ、実際のお仕事上では使用させてもらえなかったご事情は、同じ内科医の愚息や愚娘も現在、同様の嘆きを持っています。現在かなり流通しているはずの医療用漢方さえ、思うように投与できない事情は、大きな病院組織に属すると、意外に不自由極まりない事情も様々にあるようです。

 漢方医学と西洋医学の結合問題では意外に困難が多く、本場の中国でさえ、中西医結合は失敗だという批判も多く、これがために本末転倒して伝統的な中医学の危機を迎えかねない大問題ともなっているようです。
 のみならず、中医学廃止運動さえ勃発しているとか。
 中国:漢方医薬存亡の危機、激化する存続論争

 むしろアメリカやフランス・イギリスで中医学が盛んになりそうだという逆転現象も出て来ているような気配です。
 拙論にも、かなり抽象的ではありますが、中西医結合論として 中医学と西洋医学  ⇒ 中医学と西洋医学 中西医結合への道 村田恭介著 を書いています。
 マクロ的には西洋医学よりも中医学の方が科学的であるという主旨も含んでおります。

 もう既にご存知かと思いますが、我儘なブログ 漢方薬専門・村田漢方堂薬局(山口県下関市)の近況報告 を続けております。最近、マンネリ化して惰性になりかけているところを、皆様のお便りによって、何とか続けることが出来ております。
 この往復メールも恐縮ながら(もちろん匿名で)転載させて頂きますが、今後も折々に御批判、御指導賜れば、ブログの存続の励みとなりますので、今後とも宜しくお願い申し上げます。
 ありがとうございました。
          

【編集後記】 ヒゲジジイのお返事メールに対して見事な論点の医学論を述べられたメールを頂いている。続けて掲載させて頂くにはあまりにも勿体無いので、明日のお楽しみとして乞うご期待!!!
posted by ヒゲジジイ at 00:08| 山口 ☁| 中医漢方薬学問答 | 更新情報をチェックする