アトピー性皮膚炎の実質的な歴史は意外に浅い。ヒゲジジイが子供の頃(50年前)にはほとんど聞き慣れない病名だった。
薬大卒業後に漢方の仕事をやりだした当初(三十数年前)には、子供さんのアトピーがしばしば見られるようになっていたが、それでも成人すれば自然に治るという楽観主義が大勢を占めていた。
そのうち次第に成人しても治らず、悪化の一途を辿るケースが見られるようになり、ステロイドの乱用こそが元凶とする、やや本末転倒した議論がマスコミを通じて垂れ流されるようになり、ステロイド恐怖症が日本全国に蔓延する時代を迎えた。
敗戦後の日本が豊かになるにつれ、先進国病とも言われるアトピー性皮膚炎が次第に猖獗を極めだしたのはここ数十年のことなのである。
だから、歴史の長い中医学や漢方医学といえども、弁証論治や方証相対論にもとづいて、様々な知恵と工夫が行われはじめた歴史も、同様にここ数十年のことなのである。
その間にはアトピー人口は爆発的に増える一方で、西洋医学におけるステロイド乱用による弊害は大きな社会問題にもなったことは既に延べた通りであるが、それに並行して様々ないかがわしい治療方法なども百出して「アトピービジネス」が横行したまま現在に到っている。
その間には西洋医学に対抗して東洋医学の立場から、漢方と漢方薬による様々な研究と実践が行われたものの一つが、ヒゲ薬剤師による
「漢方薬によるアトピー性皮膚炎治療薬研究論説集
」である。
まだまだ研究成果は発展し続けており、「脾肺病としてのアトピー性皮膚炎」の続編として「脾肺腎病としてのアトピー性皮膚炎」が予定されていたが、実践面ばかりに追われて、以前のように腰を据えて論文を書くような根気をなくしてしまった。
今、このブログに書き連ねているような駄文を弄することはできても・・・
「脾肺病としてのアトピー性皮膚炎」では、敢えて補腎剤を必要としないケースばかりを取り上げて論じているが、アトピーが長期間遷延した場合は腎に波及しているケースがほとんどであることから「脾肺腎病としてのアトピー性皮膚炎」を最終結論として、当然書かねばならないはずである。
昨今の実例でも、湿熱傷陰にともなった肝腎陰虧や肺腎陰虧に対する六味丸系列の方剤の併用が必須となるケースが続出している現状である。
アトピーに対する各種様々な治療方法が氾濫している現状だが、西洋医学にせよ、東洋医学にせよ、それ以外の分野の治療方法にせよ、ましてやいわゆる「アトピービジネス」と呼ばれるイカガワシイ治療法ともなれば、その歴史は極めて短いものであるという事実を十分に認識しておいたほうが良いだろう。
最近では、40歳を越した人のアトピー性皮膚炎患者さんが随分増えており、このこと自体が決してオーバーではなく、有史以来、ほとんど初めての現象であるはずだ。
アトピー性皮膚炎は、今後もますます中年世代の患者も増える一方であることが予測されるだけに、幸か不幸かヒゲジジイの仕事は恐らく死ぬまで減ることはないことだろう。
2007年06月09日
歴史の浅いアトピー性皮膚炎
posted by ヒゲジジイ at 22:22| 山口 ☀| アトピー性皮膚炎や慢性湿疹など痒みを伴う皮膚病
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