昨年暮れのこと、遠路はるばる来られた人の中に、「私も哲学の煙が吸いたい」と駄々をこねて神聖不可侵の薬局内に灰皿を要求された美人のオバサンがいた。
閉店時間を遠に過ぎていたことでもあるし、喜んでオニックス製の立派な灰皿を使ってもらった。
長時間の相談疲れの後に一服を所望されたことに、非を鳴らす気にはなれない。
昨日も、遠路はるばる来られた方との御相談の最中、しばしば哲学の煙を求めて奥に引っ込み、その都度、名案が浮かんだヒゲジジイの姿と重ねあわせ、昨今はどうしてこうも「哲学の煙」の肩身が狭くなっってしまったのかと、思わず世をはかなむのであった。
ラベル:哲学の煙