ヒゲ薬剤師の発想では、まったく逆であった。
漢方入門当初は吉益東洞流の日本漢方を信奉して10年以上、その時は煎じ薬でなければ漢方ではないと思い込んでいたほどだ。
ところが逆に、キメ細かな中医学理論を修得すればするほど、逆にインスタント漢方でも、十分に通用することを知ることとなった。
そんなことはどの本にも書いてないが、中医学における中薬学を学べば学ぶほど、面白いことが分かってきたのである。
中国は広いから、各省ごとで漢方製剤原料である生薬を現地調達しなければならないので、効能の目的が一致すれば、代用生薬が使用されることが多い。要は、弁証論治にもとづく効能本位で、あらゆる生薬を有機的に応用するのが中医学の基本でもあり融通性に富んだところでもある。
それならば、漢方処方においても同様なことが言えるではないかとの発想から、基本方剤をとても大切にする漢方医学、日本漢方の精神を受け継ぐとともに、これに中医学理論を導入し「中医漢方薬学」と名付けて、煎薬を使用せずに、エキス製剤を中心に組み合わせて応用すれば良いことを随分前に発見したのだった。
煎じ薬を滅多に出さない理由のもう一つの大きな理由が、当時、盛んに手作り煎じ薬を製造販売していた頃は、連日、猛烈な漢方薬の粉塵に見舞われ、常に鼻声の毎日。「風邪でも引かれましたか?」とシバシバ来訪者に怪訝がられたものである。
当時、地元の建築会社の社長さんから歯科用の集塵機にいいのがあるから導入するように何度も強く説得されたものであるが、とうとう導入する前に、煎じ薬の製造を殆ど止めてしまった

こんなことを一生続けていたら、そのうち塵肺になるのは必定だと、タバコのことは棚に上げて、中医漢方薬学を実践すること二十数年、現在に到るということである。
ところで、さきほどGoogleで「漢方薬学」を調べて見たら、ひげ爺の発明した「中医漢方薬学」のオンパレードなのに、ビックリ仰天


漱石の「三四郎」。書中の偉大なる暗闇、哲学の煙を吐く広田先生にあこがれた若き日のヒゲ薬剤師なのであった。